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2006/05/01

お布施(2)

信者さんから良く訊かれるのがお布施の値段。あなたはどう思いますか?

高家寺では以下のように応えています。

お布施にはいろいろな種類があります。お布施とはある者がない者へ施しを広く行うこと。お寺は生産活動をしませんから対価としての金銭を得る方法がありません。ですから、一般の方々より金銭をはじめとする財物の施し(財施)を受けて寺院の維持や僧侶としての活動を維持していくものです。一方、僧侶は心に恐れを抱いている方々から畏れを取り除いたり(無畏施)、仏の教え(法)を説くことにより人々の心を潤うようにしているのです(法施)。ですから、財施は基本的に自分が気持ちよいだけ行うことが良いのです。だからといって、何もしなければ布施による徳を積むことはできませんし、多すぎては自分の生活を破壊してしまいますから、自分の懐が少し痛いかなと思うくらいが、最も気持ちよくお布施できる財施だと思います。また財がないときは、またあるときにすればよいのです。気持ちよいだけお布施してください。決して無理をしないように。

いかがでしょうか?もちろん、この方法をとっている高家寺のような寺院は経済的に豊かとはいえません。ましてや檀家に強制をほとんどしないお寺ですから。しかし、お寺を守るために僧侶が居るのではなく、仏法が世の中に広がり、人々が安寧の心を持てるようにするためにお寺があると思います。ですから、信仰心があれば、経済的にゆとりが少なくとも、寺院活動はしていけるように思います。

また信者さんや檀家さんの方々も自分の見栄を張るために寺社に寄進したところで、それは自尊心を増大させるだけ。布施は喜捨でなければなりませんし、その対価や見返りを求めてはならないもの。布施そのものに徳を積む効果があるということを知っている必要があると思います。ましてや葬儀代や戒名料・法事の値段。供養の値段・祈祷の値段を寺社側が決めるなどとはもってのほかです。もちろん行事には必要経費がありますので、基準値を出すのは悪くはないと思いますが、あくまでも基準であってその上下で差別するのは問題があるように思います。値段が決まっているのならば、それは商売に他なりません。もし値段を決めて割り切って商売にするのならばそれも良いでしょう。ただその際は税金も支払う必要があると思います。お布施する方も、お布施する寺社がどういうお寺なのか、見極める必要があると思います。寺社の堕落を嘆く前に、非難する前に、寺社の堕落を増長させてしまった布施のあり方を一人ひとりが見直すべきとも思います。

ケネディの言葉を借りれば、寺社にどうしてもらおうか、どうなってもらおうかと考える前に、自分が寺社に対して何ができるのかを考え行動する必要はないでしょうか?

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