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2006/05/13

捨無量心:執着を去ること

仏教には四無量心(しむりょうしん)と呼ばれる言葉がある。慈悲喜捨の四種だ。慈悲・喜捨と分けることも出来る。慈は慈しむこと。赤ん坊を見てにこっと笑ってしまう、あの心だ。楽を与える心。悲は他者の痛みを自分お痛みのように感じる心。苦を抜く心だ。喜は他者のことも心の底から大いに悦ぶ心だ。捨とは何か・・・このことが20年以上も前から私の心の中に引っかかっていた。

倶舎論では、平等という意味がある。心を偏らせず、浮沈しない平静安定した心だというのだ。仏教学辞典(法蔵館p.221)によると愛憎親怨の心がなく、平等である」とされている。岩波仏教辞典には「好き嫌いの区別をしないこと」とされている。

正直言って、文字上では理解できるのだが、なかなか理解できないでいた。ところがあるとき、ふと気づいた。それは手荷物を持っているときに、たまたま落し物をして、それを拾おうとしたときだ。手荷物を手放さずに拾おうとしたがうまくいかなかった。そして手荷物を置いて拾った。その瞬間にハッとした。「これだ!」。何かを得ようと思っても得ることが出来ないのは、余分なものを手に持っているからなのだ。別のものに執着している限り、次のものを得ることは出来ない。やはり手の中のものは一度は手放さなければならない。それは遠くへ捨てるのではなく手放すこと。ここに「捨」があった。捨とは、捨てることというよりも「執着を離れること」と理解できた。そこから急激に上に挙げた辞書の意味が理解された。仏法において平等だから差別してはならないではなく、自分自身が執着しているから仏法においての平等が理解できなかったということに気がついた。

仏法における平等とは執着を離れることから知ることが出来る。それが捨無量心だと、今はそう確信している。

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