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2006/05/06

サンスクリットと日本の発音

般若心経をサンスクリットの音でときどき聴いています。実際に、読んでみています。でもなかなかしっくり来ません。チベット語でときおり聴いています。これもなかなかしっくり来ません。日本式の音。これが実に耳に馴染んでいます。毎日お唱えしているから、すでに身体や口や心に馴染んでいるのでしょう。同じようなことが不動真言でも言えます。ナマハ・・・ではリズムも取れませんし、しっくり来ません。日本式のノーマクサーマンダーですと実にリズムも取りやすく、しっくり来ます。太鼓も叩きやすく気持ち良くお唱えできます。一方では文殊菩薩の五字真言は、アラハシャノウよりもa ra pa ca naのほうが唱えやすいと感じて居います。毎朝の修法の五相観のときに日本式の発音だとなかなか観想できませんが、サンスクリット音ですと実にスムースにできます。

本来はどちらかに統一するか、伝統説に従うべきなのでしょうが、私は自行(他者に伝えるものではなく自分自身の修行)ではサンスクリットと日本語式を併用しています。音はとても大切です。その響きでいろいろ異なってきます。しかし、だからこそ自分にしっくり来る音こそが大切なのではないかと思います。音にこだわるのではなく、自分の身体や自分の口や自分の心にしっくりくる音を唱える必要があるのではと強く感じています。これは理屈ではありません。実際に行ってみれば分かることです。どれだけその音を自分のものにし、体現できるかが最大のポイントのようです。一度は伝統説などに自分をあわせる必要もあるでしょうが、字面にとらわれることなく、創意工夫して、自分に合ったものを身につけること、これが大切なことだと思います。

このことはサンスクリットや日本の発音に限ったものではありません。そのほかのことにもいえるのではないでしょうか?一度は習った形に身を任せ極めることも大切ですが、そこからは創意工夫です。あのマイケル・ジョーダンのようなすばらしきスポーツ選手も、バスケットでは神の領域と呼ばれましたが、野球ではそこまでにはなれませんでした。弘法大師も密教だからこそしっくりきたと思いますが、他の教えですと物足りなかったように思います。私のことを言っては何ですが、私はタキシードよりも坊さんの衣のほうが似合います。自分に合ったものを探し、身につけることはとても大切なことのように思います。

サンスクリットの音、日本語の音、チベット語の音、自分に合ったものを実習していただければと思います。そして、そのことをありとあらゆることに応用していただければ嬉しく思います。

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コメント

サンスクリット語(デーヴァナガリー語)でベッカムの左腕に入っているような刺青を入れたいと思っています。入れたい文字は文殊菩薩(マンジュシュリー)のご真言である(オン ア ラ ハ シャ ナウ)という文字とマンジュシュリーと2つ入れたいと考えています。そして彫師に頼んだところ入れたい文字をプリントアウトして持ってきてくれと言われたのでいろいろネットサーフィンをして翻訳サイトを探したのですがどこのサイトも微妙に形が違うし、文殊菩薩のご真言を調べた時もあるサイトでは(オン ア ラ ハ シャ ナ)なのにあるサイトでは(オン ア ラ ハ シャ ノウ)だったり、ご真言のふり仮名も普通にローマ字読みで(on a la ha sya na)だったり(Om a ra pa ca na)と書いてあったりして訳が分からなくなってしまいました。そこでお手数ですが文殊菩薩のサンスクリット読みの『マンジュシュリー』とそのご真言である『オン ア ラ ハ シャ ナ』という2つの単語を仏教的に見てもおかしくないサンスクリット語(デーヴァナガリー)に訳してもらえませんか?やはり一生物なので間違った言葉を入れる訳にはいきません、インドのお坊さんが見てもちゃんと読めるような文字に訳して欲しいのです。もしやっていただけたなら入れ終わった刺青の写真を送りますのでご自由にお使いください。私も刺青を入れた彫師はもちろん文字を訳してくれたあなたの事も生涯忘れることなく胸に閉まっておきます。急なお願いで誠に申し訳ないのですが翻訳のほうよろしくお願いします。

投稿: 田中 | 2006/07/05 03:26

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