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2006/05/29

密教から見た食事を意味づけたい

精進料理という言葉がある。辞書を見ると「精進物のみを用いた料理」(【岩波書店 広辞苑第五版】」)とされている。精進物とは「肉・魚介類を用いない植物性の食物。野菜類・穀類・海藻類・豆類・木の実・果実など。(上掲書)。これを受けて、寺院や寺院に関係する場所でこの精進料理が作られている。ところが、ここに落とし穴がある。古い時代の日本では、お砂糖は使われなかった。お砂糖そのものがあまりにも高価であり、使われることがなかったのだ。もちろん化学調味料も同じである。そのようなものは江戸時代以前の日本には存在しなかった。また、油の揚げ物もそうで、徳川家康が珍しがったというくらい珍しいものであった。特に酸化した油など用いるはずもなかった。しかし、現代の日本ではどうなのか?精進料理のほとんどでお砂糖や化学調味料が使われており、かえって身体を蝕みかねないじょうきょうではないのか?私の知る限り、精進料理店で、お砂糖も化学調味料も、酸化していない油を用いることもほとんどない。ここには大きな欠点がるように思われる。

マクロビオティックという視点で見ると、今の日本精進料理はあまりにも欠点が多すぎる。そしてそこには宇宙論が存在していない。本来は、仏教的に深く意味づけられる必要があると思うのだが、残念ながら意味づけはほとんどなされていない。

食事は身体を保つ最も基本的なものだ。だからこそもっと仏教の宇宙観で意味づける必要があると思う。マクロビオティックのような宇宙観で新たに意味づけをする必要を私は強く感じる。

仏教と食事、この辺りをもう少し掘り下げて、密教という視点から見た食事を意味づけてみようと感じ始めている。これから数年の間は、この食事に意識を傾けようと思う。そこから環境問題に広がり、多くの人に密教の持つ宇宙観を体得していただけるのではないかと感じている。

密教から見た食事を意味づけてみたい。

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