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2006/04/25

水子供養

水子供養に来られる方々にいつもするお話です。

水子供養のご本尊さんは地蔵菩薩。水子供養ばかりではなく、賽の河原などでも「こどもの仏さん」として地蔵菩薩さんは親しまれています。あの愛嬌のあるお顔や優しいお顔が日本人の心にぴったりなのでしょう。

この地蔵菩薩さん、真言は オン カカカビサンマエイ ソワカ。サンスクリット語では オンハハハービサマヤ スワーハ。このカカカとかハハハ、耳になじむ面白い発音ですが、何を意味する言葉なのでしょうか。実際に発音してみると、笑い声であることに気づかれると思います。テレビドラマの水戸黄門で初代の黄門様を演じられた東野英二郎さんが、「カッカッカッカ」と笑われていましたが、日本語の「ハ」は「カ」とも記されることがたまにあります。つまり地蔵菩薩様は、大地が実り豊かになり、そこから大いに笑うというところから、笑いの仏様でもあるのです。

ではなぜ笑いの仏様がこどもの仏様なのでしょうか?こどもの仏様ですから笑いがあるともいえるのですが、じつは、この笑い声に秘密があります。ハハハ・・・カカカ・・・ここから連想される言葉は何ですか?そうです、「母」「おかあさん」。つまり日本語のお母さんは笑い声が元になっています。一般的に外国語のお母さんは、マ行が多いですよね。ママ、マミ、マム、メー、モー。漢字でも「母」は音読みで「モ」です。生まれたばかりの子供が、最初に欲しがるものがお母さんの乳房。ですから、「マンマ」「マンマ」というのは、食べ物イコールお母さんなんです。ところが日本語は別で、お母さんが笑い声と繋がっています。ここに大きな意味があります。

水子供養とは、仏様を供養をして、その功徳を自らの縁のあった過去精霊とくに亡くなった水子に回し向けることを水子供養と呼んでいます。お寺では私たち僧侶がそのお手伝いをするのですが、それはあくまでも第一歩です。自らが地蔵菩薩のように笑って生きていくことそのものが、実はそのこどもの菩提を弔うことになるのです。見える命はなくなっても、見えない命としてその亡くなった水子さんをシンボルとして、自らが笑って生きていくことこそ、本当の意味での水子供養だと思います。

高家寺では、こうしたことを念頭において水子供養を行っています。http://www.kokeji.com/memorialhall.htm 亡くなった者の事を単に悔やんだり、お払いなどでどこかに追いやろうとするのではなく、その子どもさんをシンボルとしてこの世に生かしてあげて欲しいと思います。そして何よりも自らが笑うことの大切さを知って、大いに笑って生きていって欲しいと願います。「笑う門には福来る」ですね。

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