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2006/04/23

異宗教間対話の人々の対話を実現するには 宗教倫理学会

2006年4月21日 京都キャンパスプラザにて宗教倫理学会で研究発表を行った。その概要を下記に記す。かなり雑駁な発表になってしまったことは、大いに反省しているが、来ていただいた方々の中に問題意識を残せたと思う。その辺りは成果か?発表の結論をしっかりと伝えられなかったことも今後の課題だ。次回は環境問題または薬物依存のようなことを扱ってみたい。

異宗教間対話を実現するには  -現場からの報告-

(序)
地球環境問題は一般の人が理解しているよりも深刻な状況。オゾン層破壊を例に取ると、オゾンホールは、南極大陸の二倍、その大きさはアメリカ合衆国とロシアの面積をあわせた広さよりも大きいほどの大きさを持つことがある。このオゾン、地上では害毒であり、上空では宇宙放射線より地球上の生命を守っている。一方、フロンは地上では無害無臭無毒の夢の化学物質、上空ではオゾン層の破壊者。このフロンとオゾンの関係は、環境倫理を考える上でとても大切なもの。詳しくは九月の高野山での国際密教学術大会でお話しする。この地球環境問題に取り組むためにも、異宗教間の対話は不可欠と思われる。しかし、現場では異宗教間対話が意識されるどころか、宗教さえ存在していない状況がある。その報告と、仏教以外の方に仏教の現場を知っていただくこと、さらに学問の場と現場の場の乖離を一つにまとめていくための方策はないかを考察したい。

(1)宗教家の倫理観の問題
・日本仏教界の現場では、いわゆる「飲む」「打つ」「買う」が恒常化している。
 具体例をいくつか述べました。
・世襲制による弊害。「寺族」という貴族化。家業となり宗教よりも経済に。
・建前と本音。Veganを非難する精進料理を出すお寺。神秘主義を認めない神秘主義がベースになったお寺の住職。
・教学と現場の乖離。葬儀や法事などには先人が苦労をして教学を組み込んだが、今はその教学が無視され、儀式のみが存続。そこには仏教は存在していない。

(2)異宗教間の人々の連携
・映画「Keepin the Faith」ユダヤ教のラビとカトリックの司祭の友情を取り扱ったコメディ調の映画。ここには、自らの宗教を捨てることなく異宗教が触れ合うというテーマがある。
・The Rolling Stones や Madonna などは技術以上に感性や感情を大切にしている。その世界的スターが発言すると、宗教化が発言した以上に精神的なものが多くの人々に共有される。Madonnaのカバラに入信し、Red Stringが流行した事例と、彼女がMacrobioticの食事を取っていると発言したことで、食に精神性を求める人が増えてきているという事例。
・高家寺で行われた国際結婚式。モルモン教との両親も参加した。
・一神教学際研究センターや京都宗教系大学院なども連携の代表である。
・世界宗教者平和会議もこの例であるが、往々にして宗政の臭いがする。

(3)空海の教えに見られる異宗教間の超越
・奥の院には宗旨宗派を超えた人々の墓石や供養等などが並んでいる。
・高野山の塔頭寺院には元々専門があった(浄土系は熊谷寺、日蓮系は五寂静院、臨済系は金剛三昧院、祈祷は南院など)。今は一部を除き、専門は残っていない。
・一つの中心点から二つの中心を持つ楕円の教え
・秘密曼荼羅十住心論に説かれる各教えの深化の重要性:神秘主義がキーワード

(4)これからの宗教家に求められるもの
・「環境」「教育」「福祉」「平和」への取り組み
・異宗教の概略を知る
・檀家、門徒、自宗派教師や寺族以外との交流
・寺院・教会と教学の活用
・教学と現場の融合
・自らの信じる教えの深化、体現化
・(発表はできませんでしたが)
 聖徳太子の十七条憲法第一条と第十条は、異宗教間対話の心構えとして重要

(5)結論
・私の宗教家としての原点はクリスチャンのカール・ヒルティ。彼は汎神論を強く否定し、人格神を主張するが、彼の持つ神秘主義こそが真言密教へと導いてくれた。真言の教えだからこそいえるが、表現の違いや文字の現れ方、文化の違いはあるが、キリスト教の神と真言の大日如来は信仰においては私の中では矛盾しないもの。これを教えてくださったのが金山穆紹師の著作。彼は共産主義者をして、「この人が信じるものならば私も信じてみたい」と言わしめた方で、昭和の弘法大師とまで言われた学僧。
・(高田先生と棚次先生のご指摘により)
 信仰心という接着剤により、
 教学と現場を結び付けていくことで宗教家の倫理観の回復を図る
・高田先生を除く浄土真宗の先生方は、「飲む打つ買う」は考えられないとのこと。
・(落合先生のご指摘)本覚思想と倫理観の問題はどうなっているのか?
・(沢井先生のご指摘)
 宗教家の倫理は日本仏教の問題というよりは日本の宗教全体の問題
・環境問題の共通問題を語り合ったり、人と人の友情を深め合っていくためには、私は自らの教えの深化をすることで根っこが出来上がると考えている。他者と対話することで自らの信仰を深め、その教えを体現化していくことも重要なことだと感じている。

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