« 高家の新たな意味付け | トップページ | 葬式改革 はじめに »

2006/04/13

生前戒名法名を考える:自由にならない「名前」

「戒名が欲しい」最近、こうした要望が増えてきています。「死んでからではなく、生きているうちに自分の名前をつけたい」こうしたことは人間の当たり前の要望のように思えます。

人間は生まれたときに親や親族によって名前が決められ、生きている間は特殊な事例(僧侶になるなど)を除き改名を許されず、死んでから僧侶などによって名前がつけられます。名前は自分の自由にならないものの一つです。

作家や芸能関係などは、自分の名前を芸名やペンネームで自分の好きな名前を使うことができます。僧侶も戒名は師匠につけてもらうことが多いのですが、改名は自分の裁量で自由にできます。そして、こうしたパソコン上ではハンドルネームとして誰もが自分の好きな名前を使うことが許されています。

では、歴史的にはどうでしょうか?日本では江戸時代まで改名は比較的自由でした。豊臣秀吉を例に取りますと、子どものころは「日吉」。次に「藤吉郎」。そして「秀吉」となっています。織田信長も「吉法師」「三郎」「信長」と変化していっています。また今でも老舗にはありますが、商人の家や役者の家では「・・代目・・・」。市川団十郎や中村勘三郎、松本幸四郎などは、古くから続く例です。私の知人も「半衛門」という名や「治平」という名前を当主になると代々受け継いでいました。また貴族や武士階級では、官位をもってその人を呼んでいました。具体的には源頼朝はさ左衛門助という官位を最初にもらい「すけ殿」とよばれ、右近衛大将になったときは「うだいしょう」と呼ばれています。徳川家康も、三河守のときは「三河殿」と呼ばれ、内大臣のときは「内府」と呼ばれています。女性も同じように、幼名とか、成人してからの名前、結婚してからの名前とどんどん変化して行ったようです。こうして、日本では、昔からその人の環境や役職によって名前が変化していくのは当たり前でした。ですから死にのぞんだ際に戒名を与えられるのもあまり違和感がなかったように思えます。

ところが明治維新以降(まだ明治初期には幼名があったようですが)、特に昭和の戦後は戸籍の問題もあり名前を変えることが許されないばかりか、非常にか固定されたものになってしまいました。そして生まれたときと死ぬときに他人によって勝手に名前をつけられ、名前は自由にならないようになってしまっているのです。ここに生前戒名を望まれる人が増えている大きな要素があるように思えます。

高家寺では、檀家さんには基本的に生きているうちに戒名を一緒になって考えています。檀家さんでなくても、信者さんたちとも戒名を考えるようにしています。もちろん戒名料などは徴収していません。お葬式のときも葬儀とは別に戒名料をいただくことはしていません。基本はお気持ちでお布施をしていただいています。自分の納得する戒名を共に考え、自分が納得するお布施をしていただくようにお願いをしています。

できれば、ご自分の檀家寺や門徒のお寺のご住職と生きているうちにお話いただき、戒名を授けてもらうと良いように思います。自分の名前くらい自分が納得したものでなければ、そう思いませんか?

高家寺では、檀家寺や門徒のお寺さんと相談いただけない方である場合、その方の戒名や法名を一緒に考えさせていただいています。その方の信仰を大切にしますので、宗旨宗派に囚われる必要はありません。もし戒名や法名に関してご相談がある場合は、戒名法名をつけるつけないは別としてご一報いただければと存じます。月に一度(数日間)は上京していますので関東地区の方もお気軽にお声をおかけいただければと存じます。

連絡は osho@kokeji.com  まで願います。

戒名に関しては、また後日お話できればと存じます。

|

« 高家の新たな意味付け | トップページ | 葬式改革 はじめに »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 生前戒名法名を考える:自由にならない「名前」:

« 高家の新たな意味付け | トップページ | 葬式改革 はじめに »