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2006/04/14

葬式改革 1-2

2 お坊さんにはなりたくなかった
 子どものころ、私が最もなりたくない職業が二つあった。学校の先生とお坊さん。笑い話だが、私は学習塾の講師を勤め、今は寺子屋を主宰している。そして一方では小さなお寺の住職。なぜお坊さんになりたくなかったのか。私は九代続く家の跡取り。そして、家には毎月仏壇を月参りするお坊さんがやってきていた。子どものころから宗教に興味のあった私は、自分なりの宗教観を持っていた。そこに信仰心よりも経済を大切するお坊さんがやってくるとそりが合うはずがない。今思えば、うちに来ていたお坊さんは、かなり中途半端な読経をし、お布施を持って帰っていたような気がする。子ども心ながら、そうしたことは感情的に伝わってくる。そして、私は僧侶が大きらいになっていった。仏教を信じない僧侶。そんな世界を許せなかったのだ。一方で子どものころに臨済禅のお坊さんに可愛がられていた。養老の大悲閣の住職であった故宇佐見元興和尚。出世よりも市井に生きることを選択された傑物であったと思う。この方により、仏教に一条の光を持っていた。それでも個人的には聖書が好きで、聖書を読み、キリスト教に惹かれ、またハイデガーやカントを始めとするドイツ人哲学者を尊敬していた。それゆえにこそ、仏教式のお葬式の問題点が見えていたのかもしれない。しかし、高野山に上り、縁を得て、得がたい師の下に僧侶になった。この高野山へ上ったときのお話は、またの機会に述べることもあると思う。
僧侶になりたてのころ、師の御母堂の葬儀があった。ここで衝撃を受けた。当時の高野山真言宗の管長であり総本山金剛峯寺の座主であられた故森寛紹御前が、御通夜前にお忍びで来られ、枕行をお唱えされた。たまたま留守番をしていた私にさえ優しく言葉を掛けられたお顔には涙が少し溢れておられた。そして本当に気持ちのこもった読経をされた。張りの有る声ではなかったが、とてもきれいに枯れた深みのある読経だった。そばで聞いていた私は思わず頬に涙が流れた。その後の葬儀では、アメリカから帰国されたばかりの故栂尾祥瑞先生が師の手を取って深く握手。この光景を見た直後も、涙がこぼれてきた。そして、この栂尾先生のお通夜でも私は大きく涙した。私の修行の師であり、師の師である故内海有昭南院住職が御通夜の経頭をされた。私はその随行をした。そのとき内海前官(当時は上綱一廊)は嗚咽してお経の出だしを何度も間違えられた。お通夜の会場を出てこられたときの前官様のお顔は涙で思い切り濡れていた。子供のときの、わが師匠と遊んでいたころの姿が思い出さたとのこと。読経の最中と、そのときの前官様のお顔を拝見し、また私も大きく涙したのだ。今、思えば、既にこの高野山の修行時代に、テクニックよりも感情や感性こそがお葬式のよしあしを決めるということを経験していたようだ。

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受信: 2006/04/15 16:59

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