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2006/04/26

檀那寺の決め方

本家ではない方からよく質問されるのが、「本家の宗教を受け継ぐべきかどうか?」ということです。それは、どちらでも良いと思います。ただ分かっていなければならないのは、宗教はあくまでも個人的な心のものであり、誰かに強制されるものではありません。自由に選ぶ権利は誰もが持っています。ですから、本家のものを選んでも良いし、別のものを選んでも構わないと思います。特に仏教の場合は以下のことを知っているかどうかが大切だと思います。

・お葬式のお導師は自分の師匠になる人。

  そのお寺の住職がそれほど信頼できるかどうか。

・毎月毎年の課金があるかどうか。

・本堂や庫裏などの改築に課金があるかどうか。

・葬儀の費用が決められているかどうか?

・戒名料があるかどうか?

・お寺の住職が常に勉強・修行しているかどうか?

・お寺の宗旨の教えがどんなものか

元気なときからお寺とお付き合いしておくと、心の仮の拠り所にもなりますし、他の人ととの交流の場にもなります。そしていざというときも困りません。いろいろな機会を見つけて自分の師匠を探してください。

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2006/04/25

水子供養

水子供養に来られる方々にいつもするお話です。

水子供養のご本尊さんは地蔵菩薩。水子供養ばかりではなく、賽の河原などでも「こどもの仏さん」として地蔵菩薩さんは親しまれています。あの愛嬌のあるお顔や優しいお顔が日本人の心にぴったりなのでしょう。

この地蔵菩薩さん、真言は オン カカカビサンマエイ ソワカ。サンスクリット語では オンハハハービサマヤ スワーハ。このカカカとかハハハ、耳になじむ面白い発音ですが、何を意味する言葉なのでしょうか。実際に発音してみると、笑い声であることに気づかれると思います。テレビドラマの水戸黄門で初代の黄門様を演じられた東野英二郎さんが、「カッカッカッカ」と笑われていましたが、日本語の「ハ」は「カ」とも記されることがたまにあります。つまり地蔵菩薩様は、大地が実り豊かになり、そこから大いに笑うというところから、笑いの仏様でもあるのです。

ではなぜ笑いの仏様がこどもの仏様なのでしょうか?こどもの仏様ですから笑いがあるともいえるのですが、じつは、この笑い声に秘密があります。ハハハ・・・カカカ・・・ここから連想される言葉は何ですか?そうです、「母」「おかあさん」。つまり日本語のお母さんは笑い声が元になっています。一般的に外国語のお母さんは、マ行が多いですよね。ママ、マミ、マム、メー、モー。漢字でも「母」は音読みで「モ」です。生まれたばかりの子供が、最初に欲しがるものがお母さんの乳房。ですから、「マンマ」「マンマ」というのは、食べ物イコールお母さんなんです。ところが日本語は別で、お母さんが笑い声と繋がっています。ここに大きな意味があります。

水子供養とは、仏様を供養をして、その功徳を自らの縁のあった過去精霊とくに亡くなった水子に回し向けることを水子供養と呼んでいます。お寺では私たち僧侶がそのお手伝いをするのですが、それはあくまでも第一歩です。自らが地蔵菩薩のように笑って生きていくことそのものが、実はそのこどもの菩提を弔うことになるのです。見える命はなくなっても、見えない命としてその亡くなった水子さんをシンボルとして、自らが笑って生きていくことこそ、本当の意味での水子供養だと思います。

高家寺では、こうしたことを念頭において水子供養を行っています。http://www.kokeji.com/memorialhall.htm 亡くなった者の事を単に悔やんだり、お払いなどでどこかに追いやろうとするのではなく、その子どもさんをシンボルとしてこの世に生かしてあげて欲しいと思います。そして何よりも自らが笑うことの大切さを知って、大いに笑って生きていって欲しいと願います。「笑う門には福来る」ですね。

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2006/04/23

異宗教間対話の人々の対話を実現するには 宗教倫理学会

2006年4月21日 京都キャンパスプラザにて宗教倫理学会で研究発表を行った。その概要を下記に記す。かなり雑駁な発表になってしまったことは、大いに反省しているが、来ていただいた方々の中に問題意識を残せたと思う。その辺りは成果か?発表の結論をしっかりと伝えられなかったことも今後の課題だ。次回は環境問題または薬物依存のようなことを扱ってみたい。

異宗教間対話を実現するには  -現場からの報告-

(序)
地球環境問題は一般の人が理解しているよりも深刻な状況。オゾン層破壊を例に取ると、オゾンホールは、南極大陸の二倍、その大きさはアメリカ合衆国とロシアの面積をあわせた広さよりも大きいほどの大きさを持つことがある。このオゾン、地上では害毒であり、上空では宇宙放射線より地球上の生命を守っている。一方、フロンは地上では無害無臭無毒の夢の化学物質、上空ではオゾン層の破壊者。このフロンとオゾンの関係は、環境倫理を考える上でとても大切なもの。詳しくは九月の高野山での国際密教学術大会でお話しする。この地球環境問題に取り組むためにも、異宗教間の対話は不可欠と思われる。しかし、現場では異宗教間対話が意識されるどころか、宗教さえ存在していない状況がある。その報告と、仏教以外の方に仏教の現場を知っていただくこと、さらに学問の場と現場の場の乖離を一つにまとめていくための方策はないかを考察したい。

(1)宗教家の倫理観の問題
・日本仏教界の現場では、いわゆる「飲む」「打つ」「買う」が恒常化している。
 具体例をいくつか述べました。
・世襲制による弊害。「寺族」という貴族化。家業となり宗教よりも経済に。
・建前と本音。Veganを非難する精進料理を出すお寺。神秘主義を認めない神秘主義がベースになったお寺の住職。
・教学と現場の乖離。葬儀や法事などには先人が苦労をして教学を組み込んだが、今はその教学が無視され、儀式のみが存続。そこには仏教は存在していない。

(2)異宗教間の人々の連携
・映画「Keepin the Faith」ユダヤ教のラビとカトリックの司祭の友情を取り扱ったコメディ調の映画。ここには、自らの宗教を捨てることなく異宗教が触れ合うというテーマがある。
・The Rolling Stones や Madonna などは技術以上に感性や感情を大切にしている。その世界的スターが発言すると、宗教化が発言した以上に精神的なものが多くの人々に共有される。Madonnaのカバラに入信し、Red Stringが流行した事例と、彼女がMacrobioticの食事を取っていると発言したことで、食に精神性を求める人が増えてきているという事例。
・高家寺で行われた国際結婚式。モルモン教との両親も参加した。
・一神教学際研究センターや京都宗教系大学院なども連携の代表である。
・世界宗教者平和会議もこの例であるが、往々にして宗政の臭いがする。

(3)空海の教えに見られる異宗教間の超越
・奥の院には宗旨宗派を超えた人々の墓石や供養等などが並んでいる。
・高野山の塔頭寺院には元々専門があった(浄土系は熊谷寺、日蓮系は五寂静院、臨済系は金剛三昧院、祈祷は南院など)。今は一部を除き、専門は残っていない。
・一つの中心点から二つの中心を持つ楕円の教え
・秘密曼荼羅十住心論に説かれる各教えの深化の重要性:神秘主義がキーワード

(4)これからの宗教家に求められるもの
・「環境」「教育」「福祉」「平和」への取り組み
・異宗教の概略を知る
・檀家、門徒、自宗派教師や寺族以外との交流
・寺院・教会と教学の活用
・教学と現場の融合
・自らの信じる教えの深化、体現化
・(発表はできませんでしたが)
 聖徳太子の十七条憲法第一条と第十条は、異宗教間対話の心構えとして重要

(5)結論
・私の宗教家としての原点はクリスチャンのカール・ヒルティ。彼は汎神論を強く否定し、人格神を主張するが、彼の持つ神秘主義こそが真言密教へと導いてくれた。真言の教えだからこそいえるが、表現の違いや文字の現れ方、文化の違いはあるが、キリスト教の神と真言の大日如来は信仰においては私の中では矛盾しないもの。これを教えてくださったのが金山穆紹師の著作。彼は共産主義者をして、「この人が信じるものならば私も信じてみたい」と言わしめた方で、昭和の弘法大師とまで言われた学僧。
・(高田先生と棚次先生のご指摘により)
 信仰心という接着剤により、
 教学と現場を結び付けていくことで宗教家の倫理観の回復を図る
・高田先生を除く浄土真宗の先生方は、「飲む打つ買う」は考えられないとのこと。
・(落合先生のご指摘)本覚思想と倫理観の問題はどうなっているのか?
・(沢井先生のご指摘)
 宗教家の倫理は日本仏教の問題というよりは日本の宗教全体の問題
・環境問題の共通問題を語り合ったり、人と人の友情を深め合っていくためには、私は自らの教えの深化をすることで根っこが出来上がると考えている。他者と対話することで自らの信仰を深め、その教えを体現化していくことも重要なことだと感じている。

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2006/04/16

葬式改革1-3

3 ここがおかしい

一人の人が亡くなること。そこには悲しみも心の痛みも生じる。それに付随して、看病疲れも重なることが多く、遺族の負担は相当なものだ。しかし、遺族は悲しみをゆっくりと味わう暇もなく、いろいろなことに出会う。連絡先の確認。役所への届け。葬儀社の選定。御通夜・葬儀の段取り。寺院・教会・神社などへのお願い。費用の工面。まさに眼の回る忙しさだ。看病などで疲れた身体を休める暇もない。さらに、遺族の周りには親戚・友人知人が集まってくる。声を優しくかけてくれる人。協力をしてくれる人。優しい人。冷たい人。口を挟む人。普段出てこない人が顔を利かし、普段付き合いをしている人たちが陰に隠れてしまうことも往々にしてある。とにかく遺族はいろいろなことに出会う。その強力な波に飲み込まれてしまう。ほとんどの場合、、今までの慣例や周りの言葉に流されて、遺族や故人が望む形に行われることは少ない。これで本当に良いのだろうか。何かがおかしい。
では、何がおかしいのか?数点列挙してみると,
 ・葬儀を取り仕切るのは、遺族ではなく、葬儀社が行っている。
 ・通夜は本来駆けつけてくるものなのに皆が喪服を着、忌明けしているのに法事の際も喪服を着る人がほとんどである。
 ・導師が何なのか知ることもなく、普段付き合いのないお坊さんが導師になる。
 ・誰かが始めた慣習的に行われている儀式をただただ守るだけで、僧侶や神父・牧師・神主が何をしているのかを遺族も参列者も全く理解していない。
 ・お布施は本来は志納のはずであるが、葬儀としての値段をつけてくることがほとんど。
 ・なぜ死んだら名前が変わるのか、遺族も参列者も理解していない。
 ・戒名・法名の意味を伝えられずに、戒名・法名料を請求されることが少なくない。
 ・七日七日の祈りがなぜ必要なのかを理解せずに、慣習的に四十九日を行っている。
まだまだ問題点は多い。
その中でも、学生時代に疑問に思ったことを少し述べてみようと思う。大阪でお盆のお手伝いをしたことがある。二分程度のお経を唱え、お布施だけいただいて次の家を回る。その繰り返しで一日に百件近くも回る。ここで決定的に感じた。葬式坊主にはなりたくない。高野山を下山してしばらく学習塾を経営する企業で働いたが、三年半後に僧侶に復帰(このことも後日語るときが有ると思う。)。愛知県や岐阜県のお寺のお手伝いをし始めた。ところが、どんなにきれいごとを言っても、実際に行われているのは仏教徒は遠くかけ離れた儀礼屋。葬式や行事ははお金儲けの場であり、仏の教えとはかけ離れたもの。一例を挙げると、葬式のお導師をすると最低十五万円。そこに戒名料をいただくと、三十万、五十万、百万円と戒名の内容によって金額を差別している。また脇に控える僧も、葬儀一件でおよそ三万五千円から五万円。場所によっては十万円以上の地域もあるようだ。そしてお寺側はこれを当然と思いこんでいる。そこには仏法はない。お布施というのも名前ばかり。宗教活動というのも名前ばかり。単に儀礼を行うイベント屋であるのが実態であった。それでも私はそのお手伝いを我慢しながらも二年ほど続けた。現代のお寺は宗教活動の場ではなく経済活動の場であった。そんなある日、法福寺というお寺の住職が、ビックリすることをされた。準備の手違いで書き付けた用紙が手元になく白紙の用紙しかその場になかった。それにあわてることなく、その住職は白紙の用紙どうどうと読み上げた。その檀家さんがどういう人であったのかも克明に表現した。まさに勧進帳を歌舞伎役者顔負けの演技力でこなしたのだ。これには感動を覚えた。それまで、前線で働く僧侶に嫌悪感を覚え始めていたのだが、この住職のおかげで僧侶としてやっていくことの意義を見出すことができた。
しかし、こうした例は稀で、ほとんどの場合が、マニュアルを読み上げたり、マニュアルどおりの作法を簡略化して行っている。こうしたことを多くの人は気づいているはずなのに、なぜお葬式の問題は放置されたままなのだろうか。

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2006/04/14

葬式改革 1-2

2 お坊さんにはなりたくなかった
 子どものころ、私が最もなりたくない職業が二つあった。学校の先生とお坊さん。笑い話だが、私は学習塾の講師を勤め、今は寺子屋を主宰している。そして一方では小さなお寺の住職。なぜお坊さんになりたくなかったのか。私は九代続く家の跡取り。そして、家には毎月仏壇を月参りするお坊さんがやってきていた。子どものころから宗教に興味のあった私は、自分なりの宗教観を持っていた。そこに信仰心よりも経済を大切するお坊さんがやってくるとそりが合うはずがない。今思えば、うちに来ていたお坊さんは、かなり中途半端な読経をし、お布施を持って帰っていたような気がする。子ども心ながら、そうしたことは感情的に伝わってくる。そして、私は僧侶が大きらいになっていった。仏教を信じない僧侶。そんな世界を許せなかったのだ。一方で子どものころに臨済禅のお坊さんに可愛がられていた。養老の大悲閣の住職であった故宇佐見元興和尚。出世よりも市井に生きることを選択された傑物であったと思う。この方により、仏教に一条の光を持っていた。それでも個人的には聖書が好きで、聖書を読み、キリスト教に惹かれ、またハイデガーやカントを始めとするドイツ人哲学者を尊敬していた。それゆえにこそ、仏教式のお葬式の問題点が見えていたのかもしれない。しかし、高野山に上り、縁を得て、得がたい師の下に僧侶になった。この高野山へ上ったときのお話は、またの機会に述べることもあると思う。
僧侶になりたてのころ、師の御母堂の葬儀があった。ここで衝撃を受けた。当時の高野山真言宗の管長であり総本山金剛峯寺の座主であられた故森寛紹御前が、御通夜前にお忍びで来られ、枕行をお唱えされた。たまたま留守番をしていた私にさえ優しく言葉を掛けられたお顔には涙が少し溢れておられた。そして本当に気持ちのこもった読経をされた。張りの有る声ではなかったが、とてもきれいに枯れた深みのある読経だった。そばで聞いていた私は思わず頬に涙が流れた。その後の葬儀では、アメリカから帰国されたばかりの故栂尾祥瑞先生が師の手を取って深く握手。この光景を見た直後も、涙がこぼれてきた。そして、この栂尾先生のお通夜でも私は大きく涙した。私の修行の師であり、師の師である故内海有昭南院住職が御通夜の経頭をされた。私はその随行をした。そのとき内海前官(当時は上綱一廊)は嗚咽してお経の出だしを何度も間違えられた。お通夜の会場を出てこられたときの前官様のお顔は涙で思い切り濡れていた。子供のときの、わが師匠と遊んでいたころの姿が思い出さたとのこと。読経の最中と、そのときの前官様のお顔を拝見し、また私も大きく涙したのだ。今、思えば、既にこの高野山の修行時代に、テクニックよりも感情や感性こそがお葬式のよしあしを決めるということを経験していたようだ。

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葬式改革 1-1

1 なぜ葬式改革が必要なのか

1 ローリング・ストーンズに教えられた

 ナゴヤドームにローリング・ストーンズのライブコンサートを観に行った。不良のアイドルといわれた彼らのコンサートに、一ケ寺の住職であるこの身が観に行くのは多少の抵抗があった。しかし、かのダライラマ十四世もロックコンサートに出向き法話をするということを聞き、意を決して誘われるがままにナゴヤドームに向かった。定刻になり、コンサート開始。かなり上手な演奏。ベースの音などはビックリするほどすばらしい。しかし・・・。「あれ?これがストーンズ?」よく観ると、それはまったく別のバンドだった。若すぎる。演奏は確かにうまい(後に知ったのだがベーシストは世界トップテンに入るほどのテクニシャンだった。)。しかし、何も伝わってこない。私自身がロックをあまり好きではないからかもしれない。聴いているのもつらくなった。いらいらする感情を収めるために、コンサートホールを出てトイレに行き、その後はナゴヤドームを散歩した。演奏は三十分。その後に休憩。休憩が終了し、会場が暗くなる。音が鳴り響いた。ギターとドラムの音。先ほどより上手とは思われない。「また、同じ?」少し失望を感じた。そこにスポットライトが。ミックジャガーが赤いジャケットを羽織って現れ、ジャンピングフラッシュを歌い始めた。脳天に雷が落ちたような衝撃。「何なんだこれは?」。それから二時間の間、彼らは演奏を続け、歌い、走り続けた。ミック・ジャガーは六十二歳とは思えない体力で走り回っていた。キース・リチャーズもロン・ウッドもギターを引き続け、チャーリー・ワッツもドラムを叩き続けた。凄過ぎる。演奏が特別に上手なわけではない。歌が抜群にうまいわけでもない。お話が面白いわけでもない。彼らは歌い、踊り、走り、演奏する。そしてそこからは止め処のない衝撃が伝わってくる。ロックがあまり好きでない私も二時間の間釘付けになってしまった。本番最後がブラウンシュガー。会場全員が「フウーッ」という雄たけびを上げ続けた。アンコールの拍手の後二曲。熱心なファンたちは一緒に歌い、会場がうなっていた。歌詞を全く知らないわたしは取り残された様な気持ちになって少しさびしかったが、コンサートは全体を通して十分に満足させられた。余談だが、その後パソコンで彼らの音楽をダウンロードし、今回の演奏順に並べなおす編集をした。その音楽を今もよく聴いている。
 お葬式の話で、なぜローリングストーンズの話なのか。疑問に思われる方も多いと思う。実はこのコンサートで学ばされた大切なことがあるのだ。ストーンズの前座をつとめたグループは、すばらしいテクニックの持ち主だった。しかし、その感情も情熱も伝わってこなかった。一方、ローリング・ストーンズは、テクニック的には特別秀でているわけではないが、その情熱と感情はずば抜けていた。その感性が十分すぎるくらい伝わってきた。人々を惹きつける彼らの魅力はここにあると感じた。そして、ここに葬式改革の大切なことが隠されていると私は直感した。お葬式で大切なのは技術や所作やスムースな流れではない。それらが十分でなくても、遺族や故人の感情を表現する心のこもった演出こそがお葬式では大切なものだと教えられた。ローリング・ストーンズは、いろいろな問題もあるが、そうしたものを超えて、人にとって大切なものは何かを教えてくれた恩人である。

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葬式改革 はじめに

 「葬式改革」という文章をこれからしばらく掲載しようと思う。続けられない日もあるかもしれないが、気長にお付き合いして欲しい。葬式に対していろいろ感じてきたこと、実践していることなどを書いていく。突拍子もないことを書くかもしれないが、今の私の気持ちをそのまま書くつもりだ。この文章を読み、いろいろなことに気づいていただければ嬉しい。

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2006/04/13

生前戒名法名を考える:自由にならない「名前」

「戒名が欲しい」最近、こうした要望が増えてきています。「死んでからではなく、生きているうちに自分の名前をつけたい」こうしたことは人間の当たり前の要望のように思えます。

人間は生まれたときに親や親族によって名前が決められ、生きている間は特殊な事例(僧侶になるなど)を除き改名を許されず、死んでから僧侶などによって名前がつけられます。名前は自分の自由にならないものの一つです。

作家や芸能関係などは、自分の名前を芸名やペンネームで自分の好きな名前を使うことができます。僧侶も戒名は師匠につけてもらうことが多いのですが、改名は自分の裁量で自由にできます。そして、こうしたパソコン上ではハンドルネームとして誰もが自分の好きな名前を使うことが許されています。

では、歴史的にはどうでしょうか?日本では江戸時代まで改名は比較的自由でした。豊臣秀吉を例に取りますと、子どものころは「日吉」。次に「藤吉郎」。そして「秀吉」となっています。織田信長も「吉法師」「三郎」「信長」と変化していっています。また今でも老舗にはありますが、商人の家や役者の家では「・・代目・・・」。市川団十郎や中村勘三郎、松本幸四郎などは、古くから続く例です。私の知人も「半衛門」という名や「治平」という名前を当主になると代々受け継いでいました。また貴族や武士階級では、官位をもってその人を呼んでいました。具体的には源頼朝はさ左衛門助という官位を最初にもらい「すけ殿」とよばれ、右近衛大将になったときは「うだいしょう」と呼ばれています。徳川家康も、三河守のときは「三河殿」と呼ばれ、内大臣のときは「内府」と呼ばれています。女性も同じように、幼名とか、成人してからの名前、結婚してからの名前とどんどん変化して行ったようです。こうして、日本では、昔からその人の環境や役職によって名前が変化していくのは当たり前でした。ですから死にのぞんだ際に戒名を与えられるのもあまり違和感がなかったように思えます。

ところが明治維新以降(まだ明治初期には幼名があったようですが)、特に昭和の戦後は戸籍の問題もあり名前を変えることが許されないばかりか、非常にか固定されたものになってしまいました。そして生まれたときと死ぬときに他人によって勝手に名前をつけられ、名前は自由にならないようになってしまっているのです。ここに生前戒名を望まれる人が増えている大きな要素があるように思えます。

高家寺では、檀家さんには基本的に生きているうちに戒名を一緒になって考えています。檀家さんでなくても、信者さんたちとも戒名を考えるようにしています。もちろん戒名料などは徴収していません。お葬式のときも葬儀とは別に戒名料をいただくことはしていません。基本はお気持ちでお布施をしていただいています。自分の納得する戒名を共に考え、自分が納得するお布施をしていただくようにお願いをしています。

できれば、ご自分の檀家寺や門徒のお寺のご住職と生きているうちにお話いただき、戒名を授けてもらうと良いように思います。自分の名前くらい自分が納得したものでなければ、そう思いませんか?

高家寺では、檀家寺や門徒のお寺さんと相談いただけない方である場合、その方の戒名や法名を一緒に考えさせていただいています。その方の信仰を大切にしますので、宗旨宗派に囚われる必要はありません。もし戒名や法名に関してご相談がある場合は、戒名法名をつけるつけないは別としてご一報いただければと存じます。月に一度(数日間)は上京していますので関東地区の方もお気軽にお声をおかけいただければと存じます。

連絡は osho@kokeji.com  まで願います。

戒名に関しては、また後日お話できればと存じます。

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2006/04/03

高家の新たな意味付け

高家寺の「高家」とは、元々は貴族という意味からつけられた名。発願者の二の丸殿は戸田松平家の姫。戸田松平家は藤原北家閑院流の正親町三条家の支流。副家紋として連翹襷(れんぎょうだすき)を用いているのはそのためです。高家寺の寺紋も連翹襷。江戸時代の職制である「高家」は旗本の職であり、高家寺とは関連はありません。江戸初期まで「高家」とは貴族一般を意味する言葉であったようです。

広辞苑によりますと、「高家」には、よりどころという意味があります。仏教は釈尊の最後の言葉によれば「自らをよりどころ」とし「法をよりどころ」とする教え。しかし、すべての人が強く、自分や法をよりどころとして生きているわけではありません。むしろ、何かに頼って生きている人のほうが多いくらいです。そこで、「仮のよりどころ」という意味も「高家」の新たな意味づけとして用いることにしました。

また、全ての人、全ての生きもの、全ての物事には、気高い心があります。私たち人間の多くはそのことに気づいていないだけです。気高き心はツキを呼び込みます。ツキを呼び込む「気高き心」に気づく家という意味も「高家」という文字の中に新たに読み込んでいくことにしました。

「よりどころ」として「気高き心に気づく家」として、高家寺は寺院活動を続けてまいります。

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