「ヒカルの碁」に観た仏教
アニメ「ヒカルの碁」の最終回を観ていました。あるシーンで、私は思わず息を止め、見入ってしまったのです。
主人公の少年ヒカルが、今は消えてしまった碁の師であり最大の友人である藤原佐為に夢の中で再会。そこで佐為が常に持っていた扇子を右手から右手に受け取るのです。その扇子には、佐為の思いがすべてこめられており、ヒカルは目覚めてから売店で同じような扇子を購入し、その佐為の思いを全身で受け止めました。
これは密教の灌頂の儀式で、師より弟子へ金剛が受け渡される瞬間を想起させるものでした。あの金剛には師のすべてが詰まっている象徴。それを受け取るというkとはまさに師のすべてを受け継ぐということ。
アニメを見ながらその想いの熱さに身が震えてしまいました。
「ヒカルの碁」はそのほかにも、人の命が何ゆえにあるのかということも、碁打ちに喩えて述べられている秀作です。
作者が意識していたか否かに関わりません。日本のアニメには何気なくですが仏教的なものが鏤められています。それを観ると、日本人の奥深くに流れる仏教的な感覚は、まだまだ生きているんだなぁと嬉しくなってきました。(2004/11/10)
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