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2004/11/24

伊勢神宮

伊勢神宮に行ってきました。朝、9時に外宮に。近隣の方にご案内いただいたのですが、外宮の場合、本宮よりも別宮の多賀宮にとてもすばらしい霊気を感じました。特にすごいなぁと感じたのは、弘法大師が修行されたときに使用したといわれる井戸のの跡。ここ一帯はある場所から突然空気の感覚が変わったのです。ビックリしました。何か妙に新鮮な感覚でした。そしてこの外宮全体が包み込む女性的なエネルギーを感じたのです。
一方、内宮。ここはとても作られたもので、整然としていて男性的。五十鈴川で手を洗い、脇にあるおそらく竜神を祭ってあるであろう別宮。そして本宮も、本宮以上にパワーを感じる別宮の荒霊も男性的なエネルギーを感じました。
ひょっとすると、内宮が男性で、外宮が女性かもしれません。そうすると斎王がなぜ皇室関係の女性に限られていたのか、判る気がします。天照はほんとうは男性なのでは、そう感じさせられました。
偶然にも新嘗祭で、行事のあり方の一端を見せていただいたことも併記しておきます。
(2004/11/24)

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2004/11/12

動物愛護とは

動物愛護とは
妻リツの紹介で、動物愛護を実践されているALIVE(地球生物会議)の代表野上さんとお話をする機会を得た。偶然にも、野上さんは我が師匠松長門主様と二十年前に仕事をしていた旧知の仲。これを縁と想い、東京神田の学士会館で、松長師と野上さんの対話を設定した。いろいろな話で盛り上がった。
ショックだったのは、猿が年間10,000匹、熊が年間2,000頭殺されているという現実であった。
昨今のペットブームも、実はとんでもない事態を引き起こしている。チワワが人気になったために大型犬が余剰となってしまったこと。愛玩であり、共に生きるという視点が欠落していること。
さらに、アライグマなどの輸入動物が繁殖して、地域的に問題になってしまったこと。
人間の欲望のために、動物たちまでもがその命を弄ばれはじめている昨今、もう一度いのちの尊厳を見つめ直さねばならないのではないだろうか。
私たち仏教者もペット供養などとするのではなく、動物供養なり、有縁精霊供養なり、名前も考えねばならない気がする。
この問題、今後も常に考えて生きたい。

2004/11/12

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2004/11/10

「ヒカルの碁」に観た仏教

アニメ「ヒカルの碁」の最終回を観ていました。あるシーンで、私は思わず息を止め、見入ってしまったのです。
主人公の少年ヒカルが、今は消えてしまった碁の師であり最大の友人である藤原佐為に夢の中で再会。そこで佐為が常に持っていた扇子を右手から右手に受け取るのです。その扇子には、佐為の思いがすべてこめられており、ヒカルは目覚めてから売店で同じような扇子を購入し、その佐為の思いを全身で受け止めました。
これは密教の灌頂の儀式で、師より弟子へ金剛が受け渡される瞬間を想起させるものでした。あの金剛には師のすべてが詰まっている象徴。それを受け取るというkとはまさに師のすべてを受け継ぐということ。
アニメを見ながらその想いの熱さに身が震えてしまいました。
「ヒカルの碁」はそのほかにも、人の命が何ゆえにあるのかということも、碁打ちに喩えて述べられている秀作です。
作者が意識していたか否かに関わりません。日本のアニメには何気なくですが仏教的なものが鏤められています。それを観ると、日本人の奥深くに流れる仏教的な感覚は、まだまだ生きているんだなぁと嬉しくなってきました。(2004/11/10)

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