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2004/10/13

仏教学について

仏教学という言葉は人によって意味するところが大きく異なっている。過去の文献や事象などを対象とする学問という意味と、自らを深めるための学問という意味である。
最近はどうも前者に重きが置かれ、後者は学問という領域に属さないという傾向が強い。もしそうであるのならば、自らを深めるための仏教学は名を変えねばならない気もする。
一方、前者は細にわたるようになってきたが、その学問が本当に社会に役立っているかどうか疑わしくなっている気もする。各仏教学会で発表されている内容が、社会生活や一人ひとりの人間に対して何らかの有効性がもたれてきたのであろうか?
仏教学は今岐路に立たされている。今の時代に、必要な仏教学とは何か?真剣に考えてみたい。((2004/10/13)

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動物供養のあり方

 今年の秋の彼岸は、ちょうど動物愛護週間と重なりました。高家寺では、生きるために殺生してきた生き物のために、また何気なく殺生してしまった生き物のために、慈しんできた動物のために、菩提を弔う祈りを捧げさせていただきました。また現在生きている命、これから生まれてくる命のためにも、お祈りをいたしました。
 昨今のペットブーム、三つの危惧を覚えます。
(1)ペットブームに便乗した心なき商売の跋扈。その商売が心温まるものであるかどうか、それとも金銭目的のものなのか、このあたりが大切なところです。
(2)ペットに飽きてしまうこと。最後まで責任が持てるかどうか、このあたりが大切なこと。
(3)いのちを軽んじてしまう傾向にあること。純血種にこだわったり、自分の心の隙間を埋める道具としている傾向が少なくありません。必要がなくなれば捨てたり、過剰な愛情を注いだり、これは道具である証拠です。
うちの信者さんのお1人で動物好きな方がいらっしゃいますが、雑種だろうと野良だろうと区別なく大切にされます。そんな心でありたいものです。
 動物が亡くなった場合も、お金ではなく、心から祈ってあげることが最重要。愛知県刈谷市に、園内に動物園のお墓を作り、土に帰してあげている幼稚園があります。できればこのように、土(自然)に帰してあげたいものですね。
 ちなみに高家寺でも希望者には御供養をしますが、檀家さんや信者さんに対しては、土に帰してあげるか、墓地に別してお墓を立てるのではなく自分の家のお墓に入れるように薦めています。

2004/10/13

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