何とかなるさ
室町時代、京の都のあるお寺の住職が亡くなる寸前に弟子たちを呼び集めました。そこで、「お前たちがどうしても苦しくて仕方がないときに、この封を開けなさい。」と言って、弟子たちに一通の封書を手渡しました。その住職がなくなって数十年。応仁の乱などで都は荒廃。お寺のその例に漏れず荒れ行くまま。このままでは大変なことになると、先の住職の弟子たちが集まりました。「先代の住職の遺言を今こそ開くとき」と、例の封書を持ち出して、弟子一同で開封することにしました。開封する前には「師のことだから何も書いてないかもしれないぞ」「いやいや、丸が書いてあるだけに違いない」「ひょっとすると隠し金がある可能性もある」など弟子たちはいろいろと口にしました。そして、現住職の最長老が封を開けました。するとそこに書いてあったものは・・・「何とかなるさ」・・・その言葉を読み、弟子たちはハッと我にかえりました。
最善を尽くしてもどうしようもないときは、残るは時の流れ、天の采配に任せるしかありません。「天は自ら助くるものを助く」という言葉がありますが、まさにこれに気付いた弟子たちは、笑顔でおのおのの自坊に戻って行ったと言うことです。
ただここで大切なことがあります。ただ何も自助努力をせずに何とかなると考えるのと、自助努力を最大限にした上で何とかなると思うのとでは大きな差が生まれてきます。
最大限の努力をし、そのうえで「何とかなるさ」これが大切ですね。そんなことを教えてくれる逸話です。
(2004/9/12)
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