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2003/11/01

宮沢中曽根両元首相の引退に想う

小泉首相は、中曽根・宮沢両元首相に引退を強いてしまった。結果そのものはあまり問題はない。しかし、民意の70%がこれを支持していることはいかがであろうか?私はこの問題は、政治的な問題というよりも人間としての問題が含まれているような気がしてならない。この人間としてという視点から、四つの問題点ある。
(1)橋本元首相が、中曽根元首相に公約したことの違約は信義に悖るのでは?。小選挙区から比例区に移ってもらうために、橋本元首相は中曽根元首相に条件をつけた「終身1位」。当時の現役の首相の公約を後代の首相が守らないということは、公約そのものにならないことを意味する。これは人間としての信義に悖ることにはならないだろうか?
(2)当事者の顔が見えない。何を隠しているのか疑わざるを得ない。今回、公約をした橋本首相に関して何も表に出てこない。小泉首相や安部幹事長ばかりが表に出て、約束をした当の本人がまったく表に出てこない。これは大きな問題があるのではないか?
(3)老の重要性が見られない。江戸時代、「老中」「年寄り」は権力の中枢を意味した。日本の国土は「老」を大切にする風潮があった。引退した後も、知恵袋として大切にされた。これは地域社会においても、「最長老」は特に重んじられていたことにも現れる。周りは長老を知恵者として敬い、本人は知恵者としてより一層磨きをかけていく、ここに「いぶし銀」が生まれてくると思う。しかし、アメリカ流の「若さ=美徳」の風潮が日本を覆ってしまい、だからこそ逆に、老いたる者は自らの権力にしがみつき、周りはそれを追い払おうとする悪循環に陥ってしまっているのではないだろうか?
(4)手続きの方法に問題はないか?結果よりも過程を重視すべきなのでは?今回の引退勧告は、なぜこのような時期に行われたのかということである。明らかに政治的な意図が見られる。しかしこの時期に強制的に行ったことはどこかにひずみを生みやすい。結果的に両元首相が引退したことはやむをえないことであっただろうが、党規として74歳以上の比例区単独はありえないとしたのであるならば、なぜその党規を決めたときに話しあわなかったのか。過程よりも結果を重視する風潮が今の日本を覆っている気がする。
政治の世界を見つめているとこの日本の歪んだ点もいろいろ見えてくる。その原因を作った一因は、私たち宗教者にもある気がする。政治家を選んだのは私たち国民。そしてその国民の思想的な部分を任って居るのは私たち宗教者。政治の歪みを見て、自分自身もまた振り返らされた。(2003・11・1)

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