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2003/08/30

つるぎ弘法

8月30日、ある信者さんのお宅から弘法大師をお預かりしました。木曽川の堤防近くに住む90を超えた老夫婦が、長年お祀りしていたのですが、ご主人の体調が芳しくなく入院されたので、これを契機にお寺で預かって欲しいとの事でした。お預かりに行きますと、そこには鶴亀の印の入った箱があり、その箱の中には幾つもの御影のお札が入っていました。
さて、話は変わって、妻が突然に釧路に行きたがりました。鶴の親子のテレビを見て感動したそうです。金銭面や時間の問題があり、私は躊躇していました。お盆に、妻と母と、6月に急逝した祖父(母の実父)の話をしました。祖父は35年前、テレビで鶴の親子の惨状を知り、当時尾張地区にたくさん住んでいたドジョウを獲って釧路に送る活動を行なっていました。日本航空や全日空も協力してくれたとのこと。その話題を思い出し、妻の思いと、亡き祖父の思いが、鶴というキーワードの元に、35年の歳月を超えて一つになりました。
一方、亀。結婚して間もない頃、木曽川の堤防で、亀が道路の真ん中を歩んでいるのを見つけ、交通事故に遭わないようにと、妻と共に亀を移動させた思い出があります。今年の初夏に東京国立博物館で、亀のネックレスを見つけ、そのときの亀を思い出し、購入しました。妻はそれをお気に入りで、毎日身につけています。
鶴と亀。最近やたらとご縁があるようで、ある方に相談したら「鶴亀は"つるぎ"とも言えるんじゃないの」というアドヴァイスを得ました。鶴亀・・・つるぎ・・・剣・・・高家寺には般若心経秘鍵大師や、不動明王、文殊菩薩、摩利支天など、剣を持った様々な仏さまや神様をお祀りしています。まさに、その弘法大師は縁があり高家寺に来られたようです。この弘法大師の右手には本来五鈷杵があるはずなのですが、折れてしまって今は何もありません。私は今回のご縁を感じ、自らの手で剣を彫って右手に持っていただこうと考えています。この弘法大師を預けられた老夫婦のご主人の名は「鶴吉」。まさに鶴と亀によって導かれた弘法大師像。「つるぎ弘法」と名づけました。

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2003/08/19

縁が心の扉を開く

妻が北海道の釧路に行きたがった。環境問題に取り組んでいるために、釧路湿原の視察のためであった。私は、時間的なこと、金銭的なことで躊躇っていた。
この6月に亡くなった祖父のことで、お盆の最中に母と妻と話しているうちに、祖父が20年前に数年の間、釧路の丹頂鶴へ餌を空輸していたことを思い出した。釧路湿原は深く縁のあるところであった。
ニュースで丹頂鶴の親子の姿を見て、「何かできるのでは」と感じた祖父は、当時ドジョウが豊富にいた濃尾平野から、丹頂鶴にドジョウを送った。日航も全日空もこのボランティア活動に協力をしてくれた。空輸代を無料にしてくれたのだ。祖父は「ドジョウおじさん」のニックネームを得た。子供であった私は祖父に着いて、名古屋空港や東山動物園によく行った。私の記憶にあるのはドジョウではなく、飛行機や動物園の風景である。

祖父は戦争から帰ってきて、小さな撚糸工場主となった。昭和40年前半で、50代半ばで隠居生活。経済活動から離れ、真清田字神社の七夕祭りの飾り付けや、このドジョウ捕りなどのボランティア生活を主な活動としていた。私は、外孫であったが、初孫であり、近所に住んでいたせいもあって、この祖父のボランティア生活を空気のように感じていた。 妻にボランティア仲間を選んだのも、この祖父の影響が多大である。そして、その妻が祖父のボランティア活動を再発見するきっかけを与えてくれた。 「釧路に行きたい」この気持ちが、今ふつふつと湧いてきている。妻の視察への思いと直感、祖父の生前のボランティア活動が一つに結びついた。縁とは不思議なもの。小賢しい頭で、躊躇していた私の心の扉を開いてくれた。理屈ではなく、その理屈を超えた何かが私を突き動かし始めている。おそらく近い将来に釧路に行くことになると思う。(2003/08/19)

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