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2003/07/21

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7月19日、滋賀県長浜市の田村山に行きました。そこは、血の繋がりこそありませんが、私の先祖の北川家(父が子養子:祖父孫八が八代目。私で十代目)の出身地大戌亥の氏神でもある忍海神社(おしのべじんじゃ)がある場所です。そこで、不思議な縁に導かれ深い祈りを捧げてきました。
この忍海神社を調べていくうちに、高家寺のルーツまで探すことになりました。寺伝では、江戸幕府の役職である高家に関係があると言われていたのですが、国会図書館などで調べると、どうも異なっているのです。加納藩主戸田 (松平)丹波守光重公が播州明石より美濃加納(現岐阜駅南)に転封します。それに従った住台寺院主の祐加上人の開基で、「二の丸殿」(光重公の姉妹 母は徳島藩祖蜂須賀家政の娘 上野七日市藩 二代藩主 前田利意正室 後に離別)の発願。発願の理由は分かりませんが、早世し跡を継がなかった父加賀守忠光または母の供養、または正親町三条家から続く先祖累代の供養のためではないかと考えられます。江戸幕府の役職高家とは何の関係もありませんでした。「高家」の名前の由来は戸田松平家が大臣家の藤原閑院流の正親町三条家の支流であることを公称していたため、公卿を意味する「高家」を用いたものであると想像されます。戸田松平家の家紋に正親町三条家の連翹襷をわざわざ用いていることからも推測されます。
今回の忍海神社および「諸神の岡」「多々岡」と呼ばれる田村山へは、実に不思議な導きがありました。まさに先祖の命と、氏神様の命が私を導いたようでした。おそらく先祖方は、この田村山に上り琵琶湖を見つめたと思います。血の繋がりはなくとも、先祖があり自分が居ることを改めて実感。
また、それを調べていた国会図書館で、偶然にも高家寺の歴史に触れ、今までの寺伝では分からなかった部分が解明されました。これは先師かたや祈願されたり祀られた方々が私を導いてくれたようにさえ感じます。先師がいたからこそ、今私はお寺の住職をしています。
更に、忍海神社を調べていくうちに、日本で初の女性天皇でありながら、天皇としては認められていない飯豊天皇(青海姫・忍海姫)を知り、今はその天皇のことを調べています。
これらのことを思うと先祖に対して先師に対して、祀られた方々に対して、縁のある方々に対して祈らざるを得ない気持ちになってきます。自分のルーツ、つまりこれは、足元を見つめて歩むようにという、メッセージなのではないかと今は感じています。自分が出会ったメッセージをどのように受け止めるか、このあたりに大きな意味合いがあるのではないでしょうか?21日の毎月の法話を話しているうちに自分自身へのメッセージを発している自分に気づきました。足元、それは今のお寺を知り、自分のルーツを探り、そこから今の自分を見つめなおし、社会と関わっていくことではないかと今は考えています。

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