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2003/05/15

祖父の死に出会い

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平成15年5月10日 我が愛すべき祖父が逝った。享年92歳。年齢としては大往生と言える。しかし、5月6日に自転車に乗っていたところ、バイクの後ろに接触し横転。頭部を打ち、次第に昏睡状態になった。自らの力で呼吸ができなくなり、生命維持装置をつける。多くの人が駆けつけた。
祖父は苦言家で、多くの人に煩い存在として、名物爺さんとして知られていた。非常に不器用に生きた。しかしその不器用さが祖父の真骨頂であった。
戦争でも足を骨折したまま行軍したために、陸軍病院に強制入院。そのことが祖父の命を救った。部隊は全滅し、生き残ったのは祖父のみであった。
また600年もの間、一宮市の禰宜町に住む家を守り、その家が禰宜町を、その禰宜町が尾張一宮真清田神社を守ることを深く知っており、いつも真清田神社に出かけては、現在の宮司や禰宜さんを戒めた。一方、無償ボランティアで廃棄物利用により七夕祭りの飾り付けを50年間も行ってきた。
魚捕りが好きで、どじょうを北海道の丹頂鶴定期的に送っても居た。「土壌のおじさん」と呼ばれた由縁である。
僧侶に対しても苦言を呈していたようで、今回の葬儀の導師が「結摩居士」と最大限の賛辞を与えてくれたことも祖父の生き様を表している。
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その風貌は僧侶よりも僧侶らしく、飄々としていた。髭をたくわえ「ひげのおじいちゃん」として晩年は知られていた
その祖父が点滴を射ち、死の直前には40代から50代の若さになっていた。それを見て多くの人は祖父の精悍さを賛美した。見事に枯れていた祖父はそこに居なかった。私は複雑な気持ちになった。人は枯れる美しさを見なかった。私は祖父の枯れた美しさが好きであった。祖父は居なかった。祖父はそこに居なくなっていた。
血圧を上げる点滴により、祖父は命を数日間永らえた。しかし最後は体が過剰に反応し、痙攣状態を繰り返して、最期は静かに逝った。
私は祖父のこの死に様が良かったかどうかは判断できない。いろいろな見方ができ、良かった面も悪かった面もあるからだ。しかし、祖父は死をもって私に最期の教えを説いてくれた。喜怒哀楽、人には様々な人格があり、その全ての人格が自分である。そしてその集合体が「自分」と感じているものであることを改めて認識さえてくれた。
祖父は僧侶ではなかったが、常人の生き方をはるかに超え、仏法をかなり体現していた人のように思える。私は、子供孫のなかで最も祖父の膝元で過ごした者である。だからこそ、祖父のように不器用に生きながらも、真っ直ぐに行きたいと改めて感じさせられた
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今年の節分に祖母の遺影を抱きながら火渡りに参加した祖父を想い出しつつ、心の中で合掌したい。「おじいさん。大いなる光の下へ畏れず真っ直ぐに進んで行くように」 (2003/05/15)

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