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2002/12/21

四書五経と経世済民

 昔の学問は「四書五経」と言った。四書とは『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四つ。五経とは『礼記』『詩経』『春秋』」『書経』『易経』の五つ。これは儒教の「ものである。しかし本来、この四書五経は僧侶の学ぶべきものとして打ち立てられたものだったようだ。恥ずかしながらそのこと自体は私は知らなかった。たまたま寺子屋で、論語や大学などを教えているので、私は四書五経に「目を通しているのだが、これも運が良いに過ぎない。今の僧侶は、四書五経を通読したこともないものが大半。いや一冊でも通読したものがあるだろうか。おそらくはほとんどイないのではないだろうか。
 四書五経を読んでいると、そこには経世済民の術が記されている。僧侶はこれらのものを超越しているべきものであるが、知らぬのではなく知っていて超越するのが本義。しかし残念ながら昨今では僧侶は経世済民という「言葉さえ知らなくなってきている。
 妻が代議士の秘書として国会裏にある衆議院会館に勤めているためもあり、最近私も日本の政治の場を目の当たりにするようになった。もちろん僧侶として一線は画しているのだが、ここで何かが物足りないことに気づかされるようになった。それが経世済民の教えである。
 かつての明治大正の政治家たちは、法律ではなく、この経世済民の教えをとことん身に着けさせられていた。そしてそれらの人たちは法律は知らずとも骨太の政治家であった。更に言えば、経済は二流国でも政治は一流国であった。今の政治に経世済民の教えはほとんど垣間見られない。なぜなのか?
 ある意味、私たち僧侶が「四書五経」を読まなくなり。修めるべき学問を修めなくなったために、指導力を失ってしまったからとも言えなくもない。このことは私も含めもっと僧侶自身が反省すべきことではないだろうか。自宗のお経さえ読まなくなったことも没落の始まりなのかもしれない。
 臥龍山修学院として、高家寺は温故知新を実践していきたいと思う。その実践のひとつが寺子屋活動である。

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