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2002/10/21

お寺のあり方

 人心を惑わせることにより、迷う人を増やし、信者を増やして、寺院を繁盛させる。今の坊主のあり方である。
 亡くなった人が迷うから供養とか、水子に祟られるから供養をするとか、これらが現に罷り通っている。これはあきらかに詐欺行為ではないだろうか。
 高家寺でも過去精霊供養として、先祖供養や水子供養をする。供養をする人が脅えているものが何であるかを自覚していただいたうえで、純粋に菩提を祈っていただくようにしている。この祈りに見返りは求めないように。自分のことは、純粋に自分のこととして祈ることも奨めている。自分の出来事を他者(水子や先祖)のせいのせいにするのはやはり本末転倒なのではないだろうかということで。
 仏教は、人を惑わすのではなく、目覚めの教え。真実とは何かを知り、自立し、自由自在に生きる教え。伽藍を守るために坊主は居るのではない。仏教も伽藍を守るためにあるのではない。仏教の教えを広めるために伽藍はあるのであり、仏教の生き方を突き進めるために坊主は居るのはずである。
 本末転倒、このことに私たち坊主がいち早く目覚める必要がある気がする。

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