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2001/03/28

供養と回向の意味

 「仏さんを供養する」とか「御先祖さんに回向(えこう)する」ということを耳にされたことはありませんか?この「供養」と「回向」に明確な区別があるのは御存知でしょうか?物を供えたり、お経を唱えたり、法を説いたりすることを供養と言います。この供養をすることで、自分自身が功徳を得ることができます。その功徳を他の人(御先祖様など)へ回し向けることを回向と言います。つまり、一般に「先祖供養」と言っているのは、御先祖様を供養することではなく、仏様に供養したことで得た功徳を御先祖様に対して回し向けていることなのです。  ところがこの回向なのですが、「七分獲一(しちぶんぎゃくいち)」といって、自分で得た功徳の七分の一しか回向することはできないとお経に説かれています。  ではどうすれば良いのでしょうか?  真言宗では「相互供養」という言葉を大切にします。生物を含め全てに対してお互いに供養しあえば、その得る功徳も多く、回向もより効果的なのではないでしょうか。

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2001/03/21

戒名・院号などを考える

 仏式の葬儀をすると、お導師により死者に戒名(法名)や院号が与えられます。この戒名・院号とは何なのでしょうか?
 <戒名>戒名とは、仏教の戒を授かり俗世の名前を捨て、仏の弟子として新たに得る名前。すなわち出家した際に与えられる名前(出家名)のこと。例を出せば私の俗名は「和之(かずゆき)」で、戒名(出家名)は「宥智(ゆうち)」です。お坊さんは僧侶になる最初の儀式(得度式)で既に戒律を授かり、僧侶としての名前(戒名)を得ていますから、葬儀の際に改めて戒名を授かることはありません。その意味で、僧侶は既に葬儀が終わっていると言っても過言ではないのです。
 一般の方々は生前、出家し戒律を授けられることは殆どありません。死は俗世から抜け出すこと。すなわち俗世の家を嫌でも捨てねばなりません。すなわち出家。せめて死に際して、形の上でも僧侶になって仏様に帰依してもらい、お浄土に送りだそうというのが、葬儀の戒名授与の始まりです。剃刀が葬儀の際に置いてあるのも、落飾(髪を下ろすこと・剃髪)のためのものです。つまり、お導師様は死者にとっての師匠になるわけです。
 お位牌に記される名前が俗名ではなく戒名になるのは以上のような意味合いがあります。「仏さんになる」という言葉が死を意味するのも以上の理由からです。
 <院号>大きなお寺の敷地内にお寺があることがありますが、そのお寺を塔中(たっちゅう)寺院と言います。その塔中寺院につけられるのが本来の院号です。昔は高位の人は住まいの名前によって通称とされました。天皇が出家すると必ず院号を得ましたが、一つのお寺を得、そのお寺の名前を出家した天皇が名乗ったからです。権力を得た貴族武家へと、その流れは受け継がれ、次第にお寺にお堂を建てるくらい寄与した人達に院号が授けられるようになりました。それが時代を経て院号はお金で取引されるようになって来たのです。
 上記の事を知られた今、皆さんは戒名・院号についていかが思われますか?
 古い家系だからという理由だけで院号を要求したり、見栄や名誉欲だけのために院号をつけてもらったりし、挙句の果てには「・・万円取られた」等という言葉。何かおかしいと思いませんか? また戒名や院号に値段をつけて授かることそのものにも、皆さんはいかが思われますか?
 生前は欲やお金に振り回されてしまいがちな人間。せめて、死に臨むときくらいは「欲まみれ」「金まみれ」から脱する必要があるのではないでしょうか。だからこそ、出家であり戒名のはずですから。
 常日頃から、家族で、個人的にも、自分の師匠になってもらっても良いというお坊さんなどとこうしたことを話し合っておくのも大切かと感じています。

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