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2001/01/21

理想的な死

世間に対する見栄だけでの死の迎え方や葬儀のあリ方、もう一度見つめ直す時代に来ている様に思えますが、いかがでしょうか?
 先日、岐阜県洞戸村のある女性の一生を聞かせていただきました。50代で不治の病。信仰が厚い方で、神仏に加護を祈り病が完治。癒された後は人の為に一生を尽くされ、最期(83歳)は、自宅の仏壇の前で、家族皆から死水を取ってもらって亡くなったそうです。 私の父方の祖母は枯れ木のようになり、皆に見取られながら家で亡くなりました。母方の祖母は病院で機械に繋がれて亡くなりました。この二人祖母の対照的な死を思う時いつも「延命措置とは何なのか?」「人はどういう死に方をしたいのだろうか?」と感じます。皆さんならば、どのような死を迎えたいですか? さて、死した後、皆さんは自分の葬儀をどの様にしてもらいたいですか?沢山のお坊さんを集めての読経。無理に正座をして足がしびれもじもじしている姿。戒名料や院号がいくらいくらと話し合っている姿。香典料はいくらで、おかえし云々を話し合っている姿。そんなお金漬けの現代の葬儀?それとも、現代の葬儀から比べれば質素だけれども、家族や仲間たちに感謝されながらの心からの葬儀?皆さんならばどちらが良いですか?
 世間に対する見栄だけでの死の迎え方や葬儀のあリ方、もう一度見つめ直す時代に来ている様に思えますが、いかがでしょうか? 

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