2008/06/30

千の風になって 続きの詩を作ってみた

今日の法事でお話した法話を記します

昨年末から「千の風になって」が流行し
あちらこちらで歌われています。
残された遺族の心を慰めるものとしては
高く評価されるものなのでしょう。
ところが私はこの歌を聞くたびに違和感を覚え
どうしてもお寺で流す気にはなれませんでした。
その理由は曖昧模糊としているのですが
とにかく違和感があったのです。

あるとき、高野山真言宗管長である師よりお話を伺いました。
本来、死者の魂を死んでまでも利用しようとすることは
今までの日本ではありえなかったという旨のお話です。
もう少し具体的な話だったのですが
その点は割愛させていただきます。

師よりの受け売りかもしれませんが
私なりに納得し
なぜ自分が曖昧模糊としながらも
受け入れることができなかったのかが見えてきました。

そこで私なりに続きの歌をつけたいと感じ
私なりに作ってみました。
今までは死者から遺族への言葉ですが
続きは遺族から死者への言葉です。
安らかに菩提を弔うためのもの。
強くこの世を生きていくと言う決意。
これらがあって初めて私はこの歌が完成すると感じます。
死者をむりやり蘇らせるようなことではなく
死者から何かを得ようとするのではなく
残されたものが死者のために何かをしようとする行為こそ
尊いように思えます。
与えたものこそが与えられる
そのことを真に受け止めて欲しいという思いから
非才ながら詩をしたためました。

誰か作詞の才能があるひとに
私のつたない詩の内容を汲んでいただき
より素晴らしいものへと
完成してもらえると
より日本人の心のあり方を
本来のあり方に戻せるように思います。

********************

あなたのお墓の前で もう泣かない
私はもう大丈夫 強く生きていけます

千の風に
千の風にのって
あの大ききな光に
溶け込んでください

秋には実が落ちて 大地に息づいて
冬が過ぎ去り 次なる命を育む
あなたのおかげで私は目覚めた
今度は私があなたを祈る

あなたのお墓の前で もう泣きません
あなたに感謝の心で ただ祈るだけ

千の風に
千の風にのって
あの大ききな光に
溶け込んでください

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2008/06/21

宝生如来 6月仏部

宝生如来
[読み]ほうしょうにょらい
[真言]オン アラタンノウ サンバンバ タラク

[特徴]金剛界四仏の一。南方の如来。宝が出生するという意味。
宝を生むのではなく、宝が自然に生じてくる如来で、平等性智を司り、福徳を生じる。灌頂・布施を象徴する。四親近は、金剛宝・金剛光・金剛幢・金剛笑。目標や目的。無限の価値などをも象徴する。

<<メッセージ1>>
大いに与えよ。他者を潤す者こそ、真の意味で自らも潤す。

《解説》
密教では宝生如来は、施すことを象徴する。施しのシンボルは水。水がノドの渇きを潤すように、お金や物による施しは肉体的に生きる支えとなり、教えを施すことは精神的に生きる支えとなる。真に価値あるものは何かを見極め、物にせよ、教えにせよ、自らが手にしたものを他者に施そう。他者によく施しをする者こそが、誰よりも自らが最も潤っていくものである。

<<メッセージ2>>

心身ともに乾いていないか?水分を適度に摂り身体に潤いを。仏法を見聞きして心に潤いを。自他共に心身に潤いを。
《解説》
大乗仏教の最初で最大の修行は布施行だといわれる。自ら持てるもの(お金や物でも教えでもよい)を他者に施し、周りを潤すことであなた自身が最大に潤される。心身に潤いを与え、施しの行をおこなおう。そこからあなた自身の真の価値とは何かが見えてくる。お水をお供えすることで、潤いを与え渇きを癒すことに意識を傾けることもできる。潤いは施しに繋がる。心身ともに乾いていたら、宝生如来に施しのシンボルであるお水を供え、自らそれを飲み干そう。法話を聞いたり、書物を読んだり、仏像仏画を見たり作ったりしよう。そして、一人でも多くの人に心身の潤いを与える施しをしよう。

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虚空蔵菩薩 6月菩薩部

虚空蔵菩薩
[読み]こくうぞうぼさつ
[別名]金剛宝・如意金剛・富貴金剛・無尽金剛
[真言]ノウボウ アキャシャギャラバヤ オン アリキャマリボリ ソワカ

[特徴] 宇宙の蔵を意味し、福徳智慧の二資糧を満たす菩薩。金剛宝菩薩と同体。光炎を発する宝珠を象徴とする。また明星(金星)を象徴ともすることあり。あらゆることを憶持する求聞持法の本尊とする(求聞持法は他の尊を本尊にする場合もある)。十三参りはそこから得られた智慧に結び付けられ信仰されている。

<<メッセージ1>>
平等とは均一化ではない。各々の特性を生かすことこそ、真の平等である。その特性こそ、最大の宝であることを知ろう。
《解説》
平等とは何なのだろうか?均一化という謝った平等観を捨て去って、各々が持つ特性を生かすことに注意を払おう。特性があるからこそ、価値が生じる。その価値とは、低い高いではない。ダイヤモンドという宝石さえも、人によっては大切な至極の宝石であり、人によっては金属を磨く道具であり、人によっては無用の長物である。同じものでも、人によってその価値は異なってくる。しかし、人によってその価値が異なるからこそ、各々が持つ個性が重要になってくる。人の顔が、全く同じであることはない。群がる蟻も、一体一体個性があるという。制服という服装さえも人によって着こなしが異なり全く別物に見えることがある。自分の価値基準を他者に押し付ける均一化という平等ではなく、個性を見出す平等性に眼を向けよう。平等とは、大きな価値を見出すことでもあるのだ。


<<メッセージ2>>

欲しければ、それ以上に持てるものを他者に与えよ。与えれば思わぬ方向から願い以上のものを得ることができる。
《解説》
何かを手に持っていると、他のものを持つことはできない。物にせよ、考えにせよ、教えにせよ、あなたが持っているものを、他者に与えよう。ただし、それは相手に見返りを求めて与えることではない。取引とは異なる。神社仏閣教会への寄付でも良い。事前団体への寄付でも良い。自らの労働を無償提供することも可能だろうし、教えを他者に語ることも良いだろう。おびえる人の傍に居てあげるのもよい。笑顔で語り、優しい言葉をかけるのも他者への無償の施し。
光が与えれば影ができる。光が強ければ強いほど、濃く深い影ができる。自らの利益を求めず他者に施すものは、あらゆる方向からの光を得て、この深き影から逃れることができる。虚空蔵菩薩は、利益を求めず施しをする者の深く濃い影を照らし出し、影を消滅させる。
すでにあなたは満たされていることを知ろう。欠けていると感じるの、他者に手渡していないからだ。あなたの大切なもので他者へ施しをしよう。そして虚空蔵菩薩に祈りを捧げることで、あなたの影は消えていくだろう。



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金剛索菩薩 6月供養部

金剛索菩薩
[読み]こんごうさくぼさつ
[別名]等引金剛・慈引金剛
[真言]オン バザラハシャ ウン

[特徴]金剛界四摂菩薩の一。金剛界曼荼羅の南門に位地する。大日如来より出で、慈悲心で衆生を仏法に等しく引き入れることを象徴する。

<<メッセージ1>>
慈しみの心をもって、平等に人物事物を招き入れよう。未知なる世界に飛び込み、他者と共に語り、他者と共に行動をするとき。
《解説》
あなた自身は、大いなる命の大慈悲心によってすでに神仏の世界に引き入れられている。あなたは大慈悲心に包まれている。それゆえに、未知なる世界に飛び込んで、慈しみの心をもって、他者と語りと他者と行動を共にしよう。共に語り共に行動することで、自他の区別なく相手もまた大いなる命の大慈悲心に包まれる。

<<メッセージ2>>
すでに縁を得ているにもかかわらず、一歩踏み出すことをためらっていないか?門の前でためらっていないか?思い切って門の中に入ってみよう。
《解説》
門の中に入らねばならないことを知っているのに、門の前でためらう。多くの人がこうした経験をしている。。大いなる命が大慈悲心をもってあなたを中に引き入れようとしている。怖がることはない。すでにあなたは慈しみの心で包まれているのだ。
もう一つあなたには伝えられようとしていることがある。自らが大いなる命の門の中に入るのと同時に、あなた自身が他者を慈しみの心を持って引き入れるときが来ている。未知なるものも既知なるものも、人物も事物も、平等に中に引き入れ、そして自らもためらいを捨て思い切って門の中に入ろう。

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増長天 6月守護部

増長天
[読み]ぞうじょうてん
[別名] 毘廬勒叉善神
[真言]オン ビロダキャヤシャ ジハタエイ ソワカ

[特徴]四天王の一。鳩槃多・毘廬擇などの二十八将の鬼類を眷族とする。般若守護十六善神の一。威徳を増長させることを本誓とし、万物をよく生み出す徳を象徴する。

<<メッセージ1>>
心身ともにエネルギーが増大している。あなた自身を守ると同時に他者をも守る力に満ち満ちている。
《解説》
増長天は南方の守護神である。エネルギーや威徳の増大をも司る。守護尊カードは
あなたがエネルギーに満ち満ちていることを告げている。増長天は鬼神の頭領でもある。あなたの中の鬼神のような力強いエネルギーを昇華しそのエネルギーを自分を守ることはもちろん、他者をも自分のように守ることを求めている。、

<<メッセージ2>>
怒りのエネルギーも、邪な思いも、使い方によっては威徳を増長させる。感情に振り回されることなく、強き思いをよくコントロールせよ。
《解説》
荒々しい感情を押さえつけようとすると、かえってその力で自分自身が振り回されてしまう。その力を押さえつけてはならない。荒々しい感情は大いなる破壊をもたらす。破壊の後に創造があるように、善にも悪にもエネルギーが増大している。破壊をするなら、悪習を破壊しよう。悪癖を破壊しよう。そして新たな習慣づけを行うことで、あなたの中の偉大なエネルギーをコントロールしよう。

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韋駄天 6月天部1

韋駄天
[読み]いだてん
[別名]陰天・私建陀・塞建陀・違陀天
[真言]オン イダテイタ モコテイタ ソワカ

[特徴]増長天の八将の一。伽藍の守護神として尊崇される。シヴァ神(大自在天)の子で、六人の乳母に育てられたために六つの顔を持つ。鬼神の首領。韋駄天の韋は建の誤写とされ、そこから韋駄天という名前が生まれたという。俗説で、捷疾鬼が仏舎利を持って逃げた際に、これに追いつき取り戻したことから足の速い韋駄天走りという言葉が生まれた。経典では塞建陀の名が使われる。

<<メッセージ1>>
韋駄天の足を得た。すべてのものに追いつくことができ、すべてのものが追いつけない。まさにスピードアップのときだ。
《解説》
韋駄天走りは経典に根拠があるものではなく、伝承の中で生まれた言葉。ギリシア神話のヘルメスになぞらえ、足の速い神として尊崇されている。韋駄天を情報の象徴と捉えてもよい。
あなたは走ることを求められている。今、あなたには韋駄天が守っているから安心だ。今またはこれから行うことをスピードアップしても良い時期だ。アクセル全開で、前に進め。

<<メッセージ2>>
情報を手にしているのに放っていないか?素早い足を持っているのに、遅れていないか?止まっていないか?情報を見つめなおし、その足で素早く走るときがきている。
《解説》
どんなにすばらしい情報があっても、それを使わなければそれは情報ではない。情報は英語に直すとintelligennce。つまり知性を意味する。使ってこそ情報だ。その情報を素早く使うときがきている。寝ていたり座っているのならば、立ち上がって情報を使え。とまっていたり、遅れているのならば、素早く行動せよ。素早い動きと情報の活用があなたに求められている。

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鬼子母神 6月天部2

鬼子母神
[読み]きしもじん
[別名]訶利帝母・歓喜母・天母・青色鬼・愛子母
[真言]オン ドントマリギャキテイ ソワカ

[特徴]。
半支迦という夜叉の妻で五百人の子供が居た。鬼子母神は人間の子供を捉えては食べていた。それをとめるべく釈尊は彼女の末娘を隠してしまう。それに怒り狂った鬼子母神だが、一子を思う母の心を釈尊に説法され、子供を返してもらった後は、子供の守護神となり、仏法を守る善神になったという伝説がある。五百人の子供が居ることから、子授けや出産・育児の象徴でもある。人の子を食べることを諦めたために、そのかわりに赤い血のような果汁を出す柘榴を好んで食べるようになった。

<<メッセージ1>>
母親が一子を思うような慈しみの心で、事物を育てよう。
《解説》
母は自分の肉体の一部として子を産み、育てる。その愛情の深さは計り知れない。自分の命よりも、もっともっと大切に思うからだ。この愛情を、自分の子や家族ばかりでなく、他者へも、また居他の生き物へも、そしてありとあらゆる事物へと広げていくとき、大いなる慈母の心となる。
ありとあらゆる事物に対し、自分の子供のように見つめたとき、あなた自身が大いなる命の最大限の愛情の深さを実感する。守護尊カードは語る。その慈母の心を、ありとあらゆるものに向け、あなた自身が最大限の慈母の心を知るとき来ていると。

<<メッセージ2>>

自分の中の悪鬼を探し、そのエネルギーを昇華せよ。子や家族を愛するのは自分ばかりではない。他者もまた同じように、子を愛し家族を愛するものであることを知ろう。
《解説》
鬼子母神は自分の子さえ良ければ好いという考えで、人間の子を食らってきた。その独善的な考えも、実は自分と自分の子の愛しさゆえの蒙昧であった。子供や家族への愛情は人の心を潤すが、一方では他者はどうなってもいいという排他主義の裏面もあることを知らねばならない。釈尊に出会うまでの鬼子母神は、まさに愛ゆえに盲目になった鬼女であった。しかし、自分の子が行方不明になり、半狂乱と成ったときに初めて知る。自分に子を食らわれた親は、今の自分と同じように半狂乱になったに違いないと。そこから彼女は大きく変化し、すべての子供の守護神となり、母親の愛情のシンボルとなっていく。
最初は、自分の子供のみ、家族のみの愛情であってもよい。その愛情をとことん追求することも時には大切だ。しかし、子供や家族を愛するのは自分だけではない。他者もまた同じであることを知るときが来ていると、守護尊カードは語っているのだ。
自分の中の愛に溺れた鬼女の側面を見つめよう。そして、その愛情は実は大慈心と表裏一体であり、他者の気持ちを知り、他者をもその愛情で包もうと決意したとき、あなたの中の鬼女は消え、誰よりも愛情深い慈しみに満ちた存在となるだろう。

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2008/05/21

普賢菩薩 5月仏部

普賢菩薩
[読み]ふげんぼさつ
[真言]オン サンマヤサトバン

[特徴]文殊菩薩と共に釈迦如来の脇侍、胎蔵中台八葉院の四菩薩の一、金剛界曼荼羅金剛薩埵よ同体。金剛心、菩提心、徳、大捨無量心を司る。菩提行をよく行じ衆生をよく引導する菩薩で、一切平等建立如来でもある。宇宙がなくなるまで、衆生が居なくなるまで、衆生の業がなくなるまで、衆生の煩悩がなくなるまで、自らの願いは尽きることがないという衆生済度の大誓願を立てている。

<<メッセージ1>>
何かを得るには手に持っているものを手放さねばならない。物事に執着せず、勇気をもって進め。あなたは願いそのものだ。既に目的に到達したのと同じだ。
《解説》
普賢菩薩は堅固な菩提心を表す。菩提心は、花にたとえるならば種。種が植えられるからこそ、芽が出て、根が出て、花も咲かせ、実もなる。種こそがすべての始まりである。逆に言えば、種をしっかりと蒔けば、収穫も得られたと同じことである。それと同じようにすでに種は植えられている。それを上手に育てさえすれば目的に到達したことと同じなのだ。さらに普賢菩薩は、四無量心のうち、大捨無量心を司る。手に何かを持っていると、次なるものをつかむことはできない。どこかに放り出さなくてもいい。その場に手に持てるものを置き、まず手の内を空にすることだ。そうすれば、果実を得ることができる。持てるものを手放すことで、次なる果実を得られたと確信して欲しい。
自らの胸の辺りに大きな月輪(柔らかに光り輝く満月)を想いうかべ、そこにあなたが行おうとしていることのシンボルを置くことだ。そのシンボルは、文字であってもよい。何か形であってもよい。そのシンボルを心に置くことで、あなたの意志はより堅固になっていくだろう。

<<メッセージ2>>
何かに執着していないか?あれもこれもと欲張っていないか?持てるものを手放して、他者を潤おそう。直接、自分に利得のない分野へ供することにより、より大きなものを得ることができる。
 《解説》
何かに執着していると、そこから身動きが取れなくなる。身動きが取れないとせっかくの果実を得ることができない。執着心を離れなければ成らないときが来ている。
だからといって、執着心から遠ざかるには布施ががもっとも有効だ。自ら持てるものを持てないものに提供することで執着から離れていく。特に、見返りのない分野へ提供することは大切だ。大成功を収めたものが、自らの得にならない分野へ寄付するのは、布施の効果や意味を本能的に分かっているからだ。成功してからではない。成功する前に提供しよう。普賢菩薩に祈りを捧げ、今すぐにあなたの持てるものを持てないものに手渡そう。そうすることで、空になったあなたの手元に、望むものよりも大きなものがやってくる。

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般若菩薩 5月菩薩部

般若菩薩
[読み]はんにゃぼさつ
[真言] オン チシュリ シュロタ ビジャエイ ソワカ 

[特徴] 智慧である般若波羅蜜は暴風雨にも微動だにしない、山の中の王の須弥山に喩えられる。全てのものを受け入れる大海にも喩えられる。般若菩薩は般若波羅蜜の象徴。尊形は女尊。そのために仏母・覚母とも呼ばれる。般若心経の真言「ギャーテイ ギャーテイ ハーラーギャーテイ ハラソウギャーテイ ボウジー ソワカ」は、大般若菩薩の大心真言とされる。

<<メッセージ1>>

暗闇を照らせ。ありのままに見よ。右でも左でもない。上でも下でもない。あなたの求めるものはここにある。
《解説》
真っ暗闇を照らすときには灯火が要る。灯火があれば、暗闇で見えなかったものが見えるようになる。灯火は般若の象徴。灯火と同じように般若(智慧)は、暗闇を照らし出す智慧。もっと進めて言えばと、特別に得るものではない。誰もが備わっている、ありのままに物事を観ることを般若という。般若の灯火で心の中を照らし出すと、必要としていたものはどこか遠くにあるのではなく、目の前にあることに気づく。目の前にあったのに、暗闇でそれに気づかなかっただけなのだ。
あなたの暗闇に光を当て、物事をありのままに観ることを勧めている。そうすることで、本当に大切なものを見つけ出すことができる。

<<メッセージ2>>
真実から目を逸らしていないか?暗闇の中でもがいていないか?光を照らしありのままに見ることで、今の苦しみから解放される。
 《解説》
暗闇の中では、いたずらに不安が募っていく。悲しみや苦しみの想像が膨れ上がり、自分自身で巨大な怪物を作り上げてしまうのだ。しかし、実際にはそのような怪物など居るわけではない。ただ自分の恐れが引き起こしているに過ぎないのだ。その怪物から逃れるためには、ものごとをありのままに見つめ、それを受け入れることから始めねばならない
暗くした部屋に、蝋燭などで灯火をつけ、般若心経をお唱えすることだ。部屋を暗くすることで、蝋燭の明るさを実感できる。「暗闇に包まれた人生こそが、実は明かりの意味を知る最大のチャンス」ということを知るとき。般若菩薩に祈りを捧げ、あなたの暗闇を照らして、ありのままに見よ。そこには恐れるものは何もない。

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金剛香菩薩 5月供養部

金剛香菩薩
[読み]こんごうこう
[真言] オン バザラドベイ アク

[特徴]金剛界外四供養菩薩の一。アシュク如来が、大日如来を供養するために流出した菩薩。香を焚くと速やかに広がるところから速疾を意味し、香が悪臭を消すところから煩悩という悪臭を消しさる適悦無碍の智を司る。

<<メッセージ1>>
薫香は素早く部屋の中を広がるように、あなたの思いも素早く広げるときだ。悪臭を消し去ろう。悪習を断ち、速やかに行動し、工夫努力を続けるとき。
《解説》
薫香は焚き続けるもの。続けることは継続を意味し、精進を重ねていくことを象徴する。また悪臭漂う場所でも、香りよい薫香を焚けば、心地よい香りへと変わっていく。薫香は素早さと、悪い習慣を断つことを意味する。
今までの悪習を断ち、速やかにあなたの心の底の思いを達成することを望んでいる。そのためには、速やかに行動し、工夫することを続けることが重要な鍵だ。精進せよ。

<<メッセージ2>>
悪習という悪臭を放っていないか?自らに戒め、精進を続けることにより悪習から開放される。
 《解説》
 今までの生活の中で、知らぬ間に身についている習慣。そのなかでも、悪しき習慣は悪臭のように周りを辟易させるものだ。十善戒などの善き習慣を身に着けることで悪習を断つことができる。
部屋に薫香を焚き、精進をしていくことに意識を傾けることを、あなたに勧めている。まず一つの善き習慣を身につけ、悪習を断て。何度も何度も繰り返し繰り返し、善き習慣が身につくように、工夫努力し続けよう。

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不動明王 5月守護部

不動明王
[読み]ふどうみょうおう
[真言] ノウマク サーマンダー バーザラダン センダー マーカロシャーダー 
ソハタヤ ウン タラター カン マン

[特徴]大日如来が変化(へんげ)した尊。行者をよく守護し、よく仕え、仏法を障碍するものを断つ。忿怒の姿をするのは煩悩を憎むためであり、体から出る炎は煩悩を燃やし尽くすためのもの。内には慈悲の心を秘め、いつも衆生を救うわんと思っているために額には水波の皺があり、独り子を救うような慈悲をたれることを意味する弁髪を左肩に垂らしている。右手には煩悩を切り裂く般若利剣を持ち、左手には畏れて逃げ出す衆生を繋ぎ留める羂索を持っている。どの尊よりも早く願い事をかなえてくれる尊でもあり、日本ではもっとも人気のある仏の一人。

<<メッセージ1>>
中心軸がぶれないこと。中心軸がぶれなければ自由自在に動ける。今こそ動くとき。何事にも尽力せよ。
《解説》
不動明王は、その名前に反し最もよく動く仏である。では、なぜ不動明王なのか?スポーツや武道をするとよく分かるのだが、中心軸がぶれないものこそがもっとも自由自在に動くことができる。まさに、この中心軸がぶれない仏が不動明王。仏法の中心軸は、菩提心。堅固な菩提心を象徴する仏であるからこそ、もっともよく動くことができる。
今こそ行動のときであることを告げている。ただし、そのためには、心の中心軸をしっかりと保つことがキーワードだ。

<<メッセージ2>>
重荷を背負っていないか?重荷を下ろすときが来ている。神仏に懺悔せよ。そのとき望みが叶えられる
 《解説》
不動尊は、行者の懺悔を数えて、その望みを叶えることを誓願としている。生まれ生まれ死に死に、何度も繰り返してきた生。その間に私たちはあまりにも多くの罪障を背負ってしまっている。それは意識したものもあれば無意識のものもあるはずだ。その重荷を背負ったまま歩くと手足が自由に動かなくなる。その重荷を下ろすことを勧めている。重荷を下ろすには、懺悔がもっとも効果的だ。神仏に向かって礼拝し、その一回一回の礼拝のたびに、自分の背負った罪業が一つ一つ消えるとイメージする。懺悔によって、しがみついていた罪業を手放そう。手放せば次なるものが手に入る。欲しければ手放すこと。懺悔によって、罪業を手放し、あなたが本当に必要とするものを、その手につかもう。

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火天 5月天部1

火天
[読み]かてん
[真言]オン アギャノエイ ソワカ

[特徴] 十二天の一。西方の守護天。インドのアグミこと。人間と天の神々の仲介者として火の神として古くからインドで尊崇される。火を燃やし、その中に供物を入れるといち早く煙となって天に昇るからである。また水の難がある場合、煩悩を焼き尽くすには火天に祈ると良いとされる。さらに、火天が喜ぶときには、人身の熱気が時にしたがって増減し、時節の温暖が順調であるという。
火天に十二の火があるという。智火(増益)・行満(息災)・風燥・三角赤色(敬愛)・仁恵哀憐・忿怒(降伏)・温腹・費耗・意生・受食・悉成などがそれである。

<<メッセージ1>>
あなた自身が炎となって、周りを温め、暗闇を照らし出せ。
《解説》
火を用いることで、人類は知恵を増進させていくことができた。暗闇を照らし出し、食物に火を通すようになり、大いなるエネルギーを活用するようになった。また火は智慧の象徴。智慧は煩悩を燃やし尽くす。
周りに明かりがなくても、あなた自身が灯火となれば、他者の消えた灯明に火を点けることができる。一つの灯火が万灯へと連なっていく。
 暗闇に灯火を点け、明るく照らし出そう。寒く凍える場所では、炎によって温めていこう。身体も言葉も心の内も、炎の持つ力を上手に活用し、力強く温かく、活かしていくときが今だ。

<<メッセージ2>>
願いばかりを望んでいないか?あなたの煩悩をまず燃やせ。その火は智慧であり、周りやあなた自身を温め、光を与えてくれる。その火はあなたの願いを速やかに叶えてくれる。

《解説》
火は煩悩を燃やす智慧の象徴。智慧を使い、周囲を利益しよう。周りを利益することによってあなた自身が誰よりも利益を得ることができる。火天に祈ると天にいち早く願いが届くという。智慧の火により煩悩を燃やすことによって、あなたの願いはかなえられる。

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福禄寿 5月天部2

福禄寿
[読み]ふくろくじゅ
[真言]ナム フクロクジュ

[特徴] 七福神の一。福(幸運・子孫繁栄)・禄(財産)・寿(長命長寿)の化身。。短身、長頭で、ひげが多く、経巻を結びつけた杖を携え、多く鶴を従えている。中国では南極星の化身。

<<メッセージ1>>
幸運・財運・長寿に守られている。今の自分に十分感謝しよう。
《解説》
中国では、三つの徳を大切にしている。福(幸運・子孫繁栄)・禄(財産)・寿(長命長寿)がそれだ。人には天が定めた命数がある。長い短いは他者が決めることではなく、その人自身が感じること。守護尊カードは、今の自分とその環境に深く感謝の祈りを捧げることを臨んでいる。ありがとう。随意となえることで、三つの福徳がますます増進していくだろう。

<<メッセージ2>>
幸福になりたい、財運に恵まれたい、長寿で居たいと願ってないか?希望は今の自分の否定であり、今の自分が福徳に恵まれていないと宣言することになってしまう。希望するより感謝せよ。今の自分にも未来の自分にも感謝するとき、真の福徳は引き寄せなくても向こうからやってくる。
 《解説》
守護尊カードは、あなたに「望む」ことよりも「感謝する」ことを勧めている。幸運は自ら引きよせるものではなく、向こうからやってくるように見える。より大きな視野で見ると、それはやってくるのではなく、実は自分の思念が作り出しているものであることがわかる。「しあわせになりたい」「おかねもちになりたい」「長生きしたい」と願うことは、現状を否定しているに他ならない。今の自分をまず認めるところから始めよう。そしょいてそれを大いなる命に感謝するとき、寿老人はあなたと共にある。

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2008/04/21

「六文銭」月例弘法法話2008年4月21日

高家寺 月例弘法大師 平成二十戊子年 法話
タイトルは「六文銭」
内容の良き箇所は、
師匠の松長高野山真言宗管長猊下の法話を受け売りしたものです。

「六文銭(1)」

「六文銭(2)」 「六文銭(3)」

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薬師如来 4月仏部

薬師如来   [読み]やくしにょらい  [別名]医王・瑠璃光王
[真言]オン コロコロセンダリマトウギ ソワカ 

[特徴]東方瑠璃光浄土の主。十二本願を持つ。釈尊がよく人の心の治療者であったことから、その治病の面が人格化した如来。月光・日光に両菩薩を脇侍とする。十二本願とは、相好具足・二光明照被・所求満足・安立大乗・持戒清浄・諸根完具・除病安楽・転女成男・去邪趣正・息災離苦・飢餓飽満・荘具豊満のことで、そのために日本では国分寺が各國に作られた際に本尊を薬師如来とした。

<<メッセージ1>>
三種の薬あり。下薬はいわゆる治病の薬。中薬は毎日摂る食事。上薬は常に行っている呼吸。呼吸と食事を整え心身を整えるとき
《解説》 仏教経典に、三薬が説かれているわけではない。道教の『神農経』と呼ばれるものに、上薬、中薬、下薬が説かれている。下薬は除病、中薬は養性、上薬は養生の薬とされる。上薬は毒性がなく、下薬は毒性ありとも言われている。この薬を人に約せば薬師如来となる。毒性がなく心身を養生するものといえば常に行っている呼吸。毎日定時に摂り、身体を整え、医食同源とするのが食事。病になったときに。その除病のときに用いるのがいわゆるお薬。薬よりも、呼吸と食事に意識を傾ければ、より心身が健康。

<<メッセージ2>>
薬を使い過ぎていないか?食事を取りすぎたり、偏ったりしていないか?呼吸が浅くなっていないか?過ぎたるはなおおよばざるが如し。呼吸も食事も薬も適度にする必要がある。 
《解説》 病を治すときには薬を使う。ただその病に対しての効能の部分にばかり目が注がれ、副作用に関してはあまり注視されない。そのために、病は癒えても別の病に罹り、また別の薬を飲まざるを得なくなったりする例は少なくない。また、本来は少量を一時期だけ飲むべき薬を連続使用することで、その使用量が徐々に増えていき、ついにはどんなに多量に使用しても効果がなくなってしまう例もある。目先の病を癒す薬は徐々に減らしていく必要がある。その代わりに、食事や呼吸により体質改善と心身の安定を図り、心身全体として健康を維持していくことが大切。その食事も摂り過ぎると栄養過多になり、偏食するとバランスを失う。呼吸も同じで、吸うことばかりに気を取られると過呼吸になりやすく心身のバランスを失う。薬も食事も呼吸もその心身に合わせた適度なものが必要だ。
 薬や食事と呼吸のバランスを求めている。また薬ばかりでなく、何事においても過度になり過ぎないようにバランスを保つこと。

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月光菩薩 4月菩薩部

月光菩薩  [読み]がっこうぼさつ[別名]清涼金剛 適悦金剛 威徳金剛
[真言] オン センダラ ハラバヤ ソワカ 

[特徴]日光菩薩と共に薬師如来の脇侍。月は清涼感を与えてくれる。その月を象徴する月光菩薩は、煩悩の灼熱に苦しむものに清涼感を与え、そのやさしい月の光は慈愛を示す。また、三日月は別名を磨鉱といい、これから修行を行っていくことを象徴し、十三夜は円満する直前の美しさを表している。満月は円満する菩提心を表し、十六分月は、十六空または十六大菩薩を象徴する。童子形。

<<メッセージ1>>
月のメッセージを受け取ろう。月はあなたに多くを語りかけている。
《解説》
月を十六に分ける観想がある。堅固な菩提心を表し、不動の意志を象徴する金剛薩?・金剛王・金剛愛・金剛喜。福徳を表し、価値や目標を象徴する金剛宝・金剛光・金剛幢・金剛笑。智慧と慈悲を象徴し、知識や情報(informationではなくintelligennce)を表す金剛法・金剛利・金剛因・金剛語。円満する事業活全動を象徴する金剛業・金剛護・金剛牙・金剛拳。これら十六の菩薩を月に配当させ、この十六大菩薩が円満したものを満月とする観想である。これは月には多くの意味が含まれていることも象徴している。ここからどんな意味を見出すかはあなた次第だ。
あなたに月を実際に見ることと、あなたが観想で月を観ることの両者を勧められる。そして、そのどちらからもあなたへ多くのメッセージを発していることを知ろう。

<<メッセージ2>>
月は満ち欠けする。満ち欠けは命の躍動。月の光は優しい慈愛の光。月はツキを呼ぶ。
《解説》
世の中悪いことばかりではない。厭なこともあれば、良きことも必ず起きる。それは月が満ち欠けするのと同じだ。しかし、月は実際に満ち欠けするのではなく、地球の陰に隠れて欠けているように見えるだけだ。実際の月は満月そのもの。同じように人の心も満月そのもので、煩悩という雲霧によって満ち欠けしているように見えるだけなのだ。しかし、この満ち欠けこそが命の躍動。煩悩があるからこそ覚りを実感できる。煩悩は昇華すれば、大慈悲に繋がる。
満ち欠けすることを嘆くのではなく、満ち欠けするからこそさまざまなことに気づくことができることを感謝しよう。その感謝は、人生の大いなるツキを招く。

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金剛嬉菩薩 4月供養部

金剛嬉菩薩  [読み]こんごうきぼさつ  [別名]金剛嬉戯 普敬金剛
[真言]オン バザララサ コク

[特徴]金剛界内四供養菩薩の第一。大日如来が阿?如来のために流出した菩薩。不動の菩提心を衆生が発すことを悦ぶことを象徴する

<<メッセージ1>>
既に道を歩み始めている。大いに喜ぼう。大いに悦ぼう。深く感謝しよう。
《解説》
自分自身がこの世に生かされ、自分らしく生きることができることに深く感謝しよう。それは心の奥底の喜びに繋がるものであり、世間的な目先の悦びとは根本的に異なっている。心の奥底からの喜びは、世間的な皮相的な悦びを打ち破り乗り越える力を持つ。世間的な悦びが刹那的なものに対して、心の奥底の喜びは永続的なものである。守護尊カードは、あなたは既にその心の奥底の喜びにつながる道を歩んでいることを示している。そのことを大いに喜べ。大いに悦べ。大いなる堅固な意志に支えられたその道を邁進できることに深く感謝しよう。

<<メッセージ2>>
どんな時に、どんなことに、嬉しさを感じるのか?それは永続的なのか?刹那的なのか?貪るような悦びを超え、心の奥底からの悦びを感じるときが来た。
《解説》
この世に現れたものは、全て大いなる意志の顕れである。大いなる命の中で生かされているからこそ、その命を生かすときに、心の奥底からの永続的な喜びを感じることができる。それは刹那的な世間的な悦びと、表層的には似ているが、実態としては全く異なったものである。
あなたはどんな時に、心の奥底から打ち震えるような喜びを感じるのか?どんなことに、永続的な勇気あふれる喜びを見出すのか?その喜びを見出すときが来ていることをあなたに。あなたがこの世に生まれ、その肉体を持って生まれてきた意味を見つけ、大いに喜ぶときが来ているのだ。このチャンスに大いに感謝し、心の奥底の声に耳を傾けよう。

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降三世明王 4月守護部

降三世明王  [読み]ごうざんぜみょうおう   [別名]金剛吽迦羅
[真言]オン ソンバ ニソンバ ウン バザラウン ハッタ 

[特徴] 五大明王の一。東方を守護し、アシュク如来または大日如来、金剛薩?の所変とされる。三毒(貪瞋痴)三世(現在過去未来)三界(欲界・色界・無色界)三密(身口意)三身(法身・報身・応身)の毒をを象徴する大自在天・烏摩妃を踏みつけ倒し、新たな命を与える明王。

<<メッセージ1>>
大いなる力を得た。揺れ動かない強き思いが、邪魔するすべてを打ち砕き、新たな命を吹き込ませる。
《解説》
降三世明王は、菩提心の象徴である阿?如来や金剛薩?の所変した姿。ありとあらゆる煩悩を踏み倒す力を持つ。そしてその力は、倒した相手を生まれ変わらせ、大いなる力へと変成させる。堅固な菩提心は、煩悩を摧破し、煩悩即菩提の大いなる秘密をもたらしてくれる。

<<メッセージ2>>
貪っていないか?怒っていないか?流されていないか?物や過去に囚われていないか?未来を恐れていないか?自分の中の毒を踏みつけ、新たなものに。
《解説》
あれもこれも欲しいという欲望に振り回されたり、怒りに我を忘れたり、よく確かめもせずに他者の言葉に流されたりすると、そこはまさに荒れ狂う波の中。過去の出来事に執着したり、やまだ起きても居ない未来を恐れたりすると今を生きていることを忘れ、そこもまた苦しみの海。自分に中の毒を見つけよう。自分の中の執着を知ろう。それらの毒を堅固な思いで砕いてしまおう。破壊の後に創造があることを知れば、毒は使い方で薬になり、執着も堅固な思いに連なり精進へと繋がっていく。

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帝釈天 4月天部1

帝釈天  [読み]たいしゃくてん  [別名]天帝
[真言]オン インダラヤ ソワカ 

[特徴]八方天、十二天の一。東方の守護神。須弥山の主で、他の三十二天を統率する。仏法守護、鎮護国家、済世利民の天として梵天と対をなす。元々は雷雨神で、その威力が絶大であることから尊崇された。雷撃をもって魔を打ち滅ぼす神であり、雷撃の象徴として独鈷杵を持つ。帝釈天の住む城は喜見城という。喜見城の外の隅には善法堂がある。ここに諸天が集まり衆生の善悪を見極める。喜見城の内には殊勝殿がある。無量の財宝が蓄えられている。よく衆生を守り財宝を与えるために、施福の天として尊崇される。また帝釈天は衆生に害をなす阿修羅との戦いの伝説もある。

<<メッセージ1>>
あなたの道に精進せよ。雷撃のようにつきすすめ。
《解説》
帝釈天が手に持つ独鈷杵。雷撃が形となった武器。独とは、一。一筋に突き進み精進することを意味している。また、その雷撃により、煩悩・魔障を摧破することも意味している。天帝のように雄々しく、威厳をもって、今の道を精進して突き進むように。

<<メッセージ2>>
雷のごとき一撃をあなた自身に与えよ。目覚めるときが来た。
《解説》
あなたの中に目覚めていない力がある。その力はあなたそのもの。その力を目覚めさせるようにと、守護尊カードは勧めている。雷撃のように心揺さぶり、あなたの中の力を目覚めさせよう。あなたはあなたの道を精進し、まっすぐ進んでいかねばならない人なのだ。

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布袋和尚 4月天部2

布袋和尚  [読み]ほてい  [別名] 契此
[真言] 南無布袋尊

[特徴]七福神の一。唐代末に実在した僧。布袋和尚は一定のお寺に住することなく、人々の間を遊行し、喜捨によって生活をする乞食坊主を実践していた。戒律にも縛られず、何事にもとらわれない生き方は、大いに尊崇され、弥勒菩薩の化身といわれた。中国では、太鼓腹で、布袋を背負った姿の僧の布袋尊を弥勒菩薩とする民間信仰がある。

<<メッセージ1>>
外見よりも、全身全霊の笑顔と優しい言葉と穏やかな心を大切に。
《解説》
布袋和尚は、胸元が肌蹴て、太鼓腹の一部さえ見せた姿。その姿は外見的には決して美しいものではなかった。しかし、かれは外見以上に何事にもとらわれない人であった。そしてなによりも、笑顔をふりまいていきたたまに、多くの人に支持され、ついには弥勒菩薩の化身として崇められるに至った。守護尊カードは告げる。布袋和尚のように、外見にとらわれず、笑顔で生きよと。弥勒菩薩のように慈しみ満ちた言葉を発し、穏やかな心を保てと。

<<メッセージ2>>
何があっても、にこやかな笑顔を大切にせよ。
《解説》
何か悪いことや厭なことが起きても笑顔でいよう。その悪いことや厭なことは、いままでのあなたの悪業のもたらした果実であり、その果実が実を結んだということは、すでにその悪業が消えた証拠なのだから。また嬉しいことや楽しいことがあれば素直に喜ぼう。その喜びは、次なる喜びをもたらす。どんなときでも笑顔を絶やさず生きることは、何事にもとらわれない心を養い、大いなる福徳を授けてくれる。

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