2024/04/07

注意喚起・警告!

注意喚起・警告!
最近、FBやYouTubeで密教の修行をして「魂を覚醒」などと怪しき言葉を使って勧誘している人がいるそうです。実際に真言宗のお寺の住職がおこなっている例もあるとのこと。
うちのお寺に逃げてきた方もおられます。
だいたいが弘法大師の真言密教を「空海上人の教え」と称する人は、まともに真言の教えを実践してきた人にはほとんどいません。また自分が有名大学を卒業していても、それを称する人はほとんどいません。そうしたあからさまな表現をしている場合は怪しいと疑うべきでしょう。
真言密教では師匠が絶対です。この人はという人に着いて学ぶべき教え。手軽な選び方をすると、お金と時間と仏法に対する思いむしり取られて後悔するのみです。安易に師匠を選ぶのではなく、しっかりと対話したのちに選んでください。
繰り返します。真言宗のお寺の住職だからと安心しないでください。ましてやそうでない場合は言わずもがなです。その師匠になる人を自分の目で見極める、これも大切な修行の一歩。
もし騙されたという方が居られれば相談に乗りますし、FB「密教」にはそうした相談に乗ってくださる真っ当なご住職がなん人も居られます。
真言密教に縁ある人がつまらないものに引っかからないことを祈るばかりです。

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2023/04/29

教導ではなく伝える 寄り添い 共に歩み 共に気づく

かつても記したことがあるが、
わたしは教導をするということは
微塵も考えていない。
これは亡き師にも伝えてきた。
FBを読んでいると
自分が経験したことを教えてやるという
そうした感じの文章を時折散見する。
特に宗教家がこれをやると
まさに匂ってしまう(^^;
自分が知ったこと、
自分が経験して気づいたこと、
それらを伝えるのと
教導するのとは異なる。
わたしは先人より伝えていただけたものを
次へと繋ぐだけだし
たまたま気づいたことを記すだけ。
それらを読んでいただいたり
聞いていただいて
お役に立つならば嬉しいばかり。
それゆえに書き続けるし
修法の際にお話もするし
文化センターで講義もしている。
そして季節の行事や月例行事をしている。
寄り添い
共に歩み
共に気づいていく
それが理想(^^)
うちのお寺は
そんな場所であり続けたい・・・。

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2022/05/08

花祭・灌仏会・甘茶がけ お釈迦様のお誕生日

花祭を行います

あれ?お釈迦様のお誕生日、花祭は4月8日ではないの?と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そうなんですよ、四月四日です   えっ?ではなぜに五月八日?

ちょっとお経を覗いてみましょう。

あれ?阿含経という いわゆるお釈迦様の生涯・言動を記したお経に、お釈迦様のお誕生日を明確に記したお経は殆どありません

古代チャイナの撰であるお経に四月八日とされているものもありますがどうもこれも当てはめたにすぎないようなのです

どういうことかというと

東南アジアの上座部仏教では仏滅紀元という暦が用いられており、そのウェーサーカ祭の日を誕生日とされています。実は誕生日だけでなく、成道も入滅もこの日とされ、最大のお祭りとされています。

インド暦第二月Vaiśakhaの第一満月の夜(旧暦の45月)とのこと。サンスクリットのVaiśakhaがウェーサーカーというスリランカのシンハラ語になったと言われています。

これが古代チャイナに伝わった際に、古代チャイナは今で言うところの旧暦を用いていましたので、四月十五日あたりでした。ところがウェーサーカーは十五日なのですが、一週間前の八日から始まりますので、どこでどうなったのか古代チャイナでは旧暦の四月八日ということになりそれがチャイナ全土に広がり、日本にもその説が取られました。

ところが明治維新・明治の改暦で日本は旧暦を改め、グレゴリオ暦・新暦を用いるようになりました。

そうなると四月八日ですと今までの季節から一ヶ月ほど早くなってしまいます。

 

ここでお寺は三派に分かれました。

・一つには季節感としては一ケ月ほど早い新暦の48

・二つには月の形を重視する旧暦の48

・三つには季節感を重視する58日 つまり月遅れ。

 

ということで私が住職になってから、これらを試したのですが、やはり月の形が大切なのでしょうか、高家寺では基本的に花祭は旧暦でおこなうことになりました。あっ他の行事では季節感を大切にする月遅れ、月送りと呼んでいますが、それを重視していますが、インドのお釈迦様ですので季節感よりもお月様かなぁと感じています。といいますのも密教の星占いと言われる宿曜は月の位置が最重要なので付きを大切にして行事を行うようになりました。

 

で、です 今年は偶然にもつく遅れの五月八日が旧暦の四月八日です。

これでおわかりいただけたと思います。少々お話が長くなりましたが、そういうことです(^^)

 

そこで高家寺では58日に甘茶がけを行います。詳しくは行事ののちにほうこくさせていただきますが。当日は甘茶も用意します。その甘茶は・・・・あっ、コレについては報告の際に・・・

5月810時から本堂で甘茶がけを行いますので、お越しになられる方は058-371-2821またはosho@kokeji.comまでご連絡ください

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2022/05/05

年間行事の報告「立夏前 春風の四恩祭」

今回は高家寺の年間行事の報告です。「立夏前 春風の四恩祭」

シオンといってもユダヤ教のシオニズムの語源となったシオンの丘ではありませんよ。

 

さて、昨年末に名古屋の佐藤啓美さんという画家さん、実は中日文化センターの生徒さんなのですが、法隆寺の十一面観音さんを模写した絵を寄贈していただきました。

今年の節分会でお披露目したのですが、本堂に祀ったまま片付けることなくお祀りしていました。

するとコレを片付ける必要ではなかったことに気づきます、

 

令和四年は五月五日が立夏でした 夏の芽が生まれる日です。

高家寺ではその前日の五月四日、立夏前の節分に、あっ節分は年に四回あるんです。立春・立夏・立秋・立冬前の四回です。その立夏前の節分では、風の四恩祭をおこなっています

春風という言葉があります 節分ですので季節の最後ですから春風をイメージし、五大すなわち地水火風空の風大・風のお祭りです。

四恩とは、いろいろな説がありますが、我が師匠の松長有慶先生の説に従いますと、四とは具体的な数字の四ではなく、あらゆる恩という意味です。

あらゆる恩に感謝するお祭りなのですが単純な感謝ではありません。

まずは過去現在未来の三世に渡る恩に対して、まずは懺悔すること。

懺悔して、自らを謙虚にし、そして四恩に感謝するというもの。

ですから礼拝行、できる人は百八回を意識してもらいました。

 

その準備をしている過程で気づいたのです。日本のお寺の総本山たる東大寺、その二月堂で行われるお水取り、別名十一面悔過法、わかりやすい言葉にすれば十一面観音様に懺悔する法会ということ。

あっ、これだと思いました。

 表白の中で十一面観音様に関しては、難しい言葉なので、それを現代意訳すると

十一面観音さまは、一つ一つを見つめてみると地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の十界のどこへでも赴くことを表す十面があり、

それらのすべての楽(ネガ)ヒニ応スルコトヲ総じて一であらわした一の頭を顕している

衆生を地獄・餓鬼・畜生・修羅の四つの悪趣の艱苦から、あらゆる神通力を持ってすくい上げる

信じ修行すればさまざまな怨敵が破壊することはなくなり

真言を唱えるものには様々な存在が護持してくださる

また心より信じれば長い間なおらない病気もすぐさまに除かれ

重ねて敬えば老いても目が衰えにくくなる

その願いは叶えられないとうことがない

とされています。

また十一面観音さまには

十種勝利 つまり

一に離諸疾病(病気にかからない)

ニに一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)

三に任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)

四に一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)

五に國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)

六に不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)

七に一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)

八に水不能溺(溺死しない)

九に火不能燒(焼死しない)

十に不非命中夭(不慮の事故で死なない)

といわれています

また四種功德があり すなわち

一に臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)

ニに不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅に生まれ変わらない)

三に不非命終(早死にしない)

四に從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)

とされています。

この風の四恩祭で礼拝をすることは、懺悔により身口意に溜まった垢を清浄に清め、そして十一面様の十種勝利と四種功徳を得るものです。

ちなみにこの法要に参加すると、参加しましたという証書を署名入りでお渡しします。これを自らの棺に入れるといいですね。

 

なお、この懺悔も個としての自分だけではなく、個も含めた大きな自分と捉えて、家族や友人地域や国人類にまで広げていけるといいですね。

ちなみに導師である私は今のウクライナ・ロシア問題も含め、日本の周囲の問題にまで意識を働かせました。

そして称名念仏、南無・・・という言い方ですね、そしてその真言に関しては

胎蔵大日・金剛界大日・一字金輪・仏眼仏母・阿閦・宝生・観自在王・不空成就・釈迦・阿弥陀・薬師・金剛薩埵・普賢・文殊・聖観音・弥勒を各一回お唱えし、その後に十一面さまの真言を十一回、そして千手・如意輪・准胝・不空羂索・白衣の各観音、大勢至・般若波羅蜜・虚空蔵・地蔵の各菩薩、不動・四大明王・愛染・孔雀・馬頭の各明王、梵天帝釋天などの諸天の称名念仏と真言を各一回お唱えしました。

 

翌日、参加者は太ももの筋肉痛があったようですが、身口意は清浄な感覚を得られたようです。身体も言葉も心も浄化する法要としてとても良きものであったことは間違いありません。

 

今年はまだコロナ禍がありましたので大きく広報をしませんでした。その点はお詫び申し上げます。

 

十一面観音様が昨年末に高家寺に奉納されましたことも、大きな大きなご縁が有るのだと改めて感じています。

来年には改めて法要を広報させていただきます。

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2021/05/25

守護尊カード 令和3年5月21日~6月20日  高家寺月例弘法大師報恩日 


月例弘法大師報恩日に授与する

守護尊カードの解説です

 

令和3年5月21日~6月20日

・宝生如来

・虚空蔵菩薩

・金剛宝菩薩

・金剛笑菩薩

・金剛索菩薩

・軍荼利明王

・増長天

・羅刹天

・福禄寿

 

さて今月のあなたの守護尊は?

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2021/05/23

師匠選び 密教でいちばん大切なこと

密教を学ぶ上で一番大切なこと
というビデオを上げました。
・お葬式のお導師のこと
・絶対者である師匠のこと
・オウム真理教の間違い
・師匠を選ぶのは自分
ということをお話しました。
密教を学ぶ上でいちばん大切なこと
それは師匠選びです!!

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2021/04/28

大切なことに集中するには


月例不動護摩法話です。
令和3年4月28日。
高家寺住職

「大切なことに集中するには?」
YouTubeです

自動化できるのは機械だけではあありません。
また自動化は何のために行うのでしょうか?

最近つらつらお話することを
少しまとめてお話しました。

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2021/04/21

地蔵菩薩雑感 高家寺月例弘法大師法話


令和3年4月21日 高家寺の月例弘法大師報恩日の住職の法話をYouYubeにアップしました。

今回は法話と言うよりは
お地蔵様に関するグダグダした思いの独白でした。
ただ此の話を聞いて頂き
何かを感じていただける方がいらっしゃれば
ありがたいばかりです。

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2020/09/13

「救いを求める声に応える 聖観音菩薩」 #仏菩薩 vol.002

「救いを求める声に応える 聖観音菩薩」 #仏菩薩 vol.002
辛くて悲しくて
どうしようもなく
やりきれないとき
心の奥底から
「助けて!」
と声を出した経験は
ありませんか?
そのとき
偶然の一致のように
助けてくださる人が現れたり
嫌な出来事があったればこそ
今までよりも良き方向に向かったり
今まで見つからなかったものが見つかり
それによって救われたり
心の内が急激に変化し
外なる出来事を受容し
心の中はとても穏やかになったり
偶然の一致がいくつも重なり
導かれるように改善していったり
心の奥底からの叫び声は
物事を大きく変化させてくれます。
聖観音菩薩は、
心の奥底からの叫び声を観て
あらゆる姿に成り代わり
すくい上げてくださる菩薩さまの御本体。
この心の奥底からの「助けて」を
一度、経験された方は
その後は #真言 オン アロリキャ ソワカを
繰り返して唱えることで
聖観音菩薩と繋がりやすくなり
他の仏さまの真言も
お唱えしやすくなるようです。
辛く悲しい経験をされた方は
仏菩薩の大慈悲に救われ
それにより自らも
他者への慈悲心を持てるようになります。
むしろその辛く悲しい経験は
大慈悲のために
必要だった経験なのかもしれません。
その経験を経ることで
自らの中に聖観音おられることを
強く深く感じられるのではないでしょうか?
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写真は高家寺の御本尊 聖観音菩薩

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2020/09/12

「笑顔の象徴 地蔵菩薩」 #仏菩薩 vol.001


「笑顔の象徴 地蔵菩薩」 #仏菩薩 vol.001

一所懸命に
物事を組み立てられている人たちの姿は美しい。
時には失敗もあるだろうが、
それもまた彩と思えてしまう。
そうした方々にはエールを送りたくなる。
そばにいるとついつい笑みが溢れる。

一方で、
揚げ足を取る人は悲しい。
時には的を得ていることもあるが、
負の感情のために白きものも黒く見えてしまう。
そうした方々といると気持ち悪くなる。
いち早く離れたいという気持ちに苛まれる。

一緒にいると
冗談やおふざけがなくても
楽しくなったり
元気になったり
嬉しくなったり
気づきがあったり
そんな人であり続けたい。

地蔵菩薩は笑顔の象徴。
オン カ カ カ ビサンマエイ ソワカ
高らかに笑う声が真言になっている。
元々は農業の神様で
人々の努力の結果の実りを
大いに祝う神。
揺れ動かない大地
種子を育む大地。
大切なものを蔵する大地。
そこから覚りの道を歩む地蔵菩薩へと
昇格(?)し大乗仏教に取り込まれたのだろう。

私見にに過ぎないが
地蔵菩薩は僧形であるということは
僧侶も地蔵菩薩であれという
意味も込められているのではないのか?

覚りの心が揺れ動かない
慈悲に満ちた
笑顔の菩薩、地蔵菩薩。
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写真は、版画家の池田満寿夫氏作の
ブロンズ地蔵菩薩像(高家寺蔵)

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2020/09/11

季節の行事の乱脱

季節の行事の乱脱
季節の行事には、
正月や節分、二十四節気、お彼岸などの
太陽暦の合うもの。
七夕のように旧暦の合うもの。
お雛様や端午、祇園祭、重用など
一月遅れが合うもの。
およそ三つに分かれます。
これらを単純に太陽暦でおこなってしまう 
お寺や神社は
季節感の喪失させるという
大きな罪を背負っていることを自覚していません
明治なかばまでは
太陽暦を加味した旧暦を用いていました
暦の上でも日本人は自然と共に生きていました。
ただし、単純に旧暦を用いるのが良いかというと
そうは思えません。
太陽暦の良さもあるからです。
太陽暦が世界標準の現代社会
新たな工夫をした季節の行事の暦が
必要に感じています。

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2020/09/09

遊歩(和尚)ufo.oshoというペンネームについての独白 自由で囚われのない境地 教導などという高みに立っているわけではない

ペンネームについて 独り語り
「遊歩(和尚)」ufo.osho
今の私のペンネーム。
これを知ったある先輩から
「遊び歩くとは、そんなふざけた名前は
 師匠に迷惑を掛けるぞ。
 そんなことで檀信徒を教導できるのか?」
とお叱りを受けたことがある。
そのとき、2つの応えが頭に浮かんだ。
「遊歩は『大日経』の遊歩大空位からとった言葉であり
 お葬式の引導のときにも用いる言葉」
「教導するなど、そんな高い目線で臨んでは居ない。
 私は自分の心の迷いがあって僧侶になったのだし
 人を導けるほどカリスマ性もリーダーシップもない。
 ただ縁があって気づかせていただいたこと
 伝統の中で学ばせていただいたことを
 周りに伝えているだけ。
 各々の気づきのお手伝いができれば幸い。」
その先輩には前者を伝えた。
とりあえずは納得してもらったが
勘違いされやすいので気をつけろと言われた。
後日、師匠には後者を伝えた。
師匠は素直な私の気持ちの独白を
「面白かった」と笑顔で答えていただけた。
僧侶の世界にいると、
「いつの間にか坊さんが高みに立っていると
 勘違いすることが少なくないのでは?」
と感じることが多い。
私はお大師さまをはじめお祖師方や仏菩薩の
指先でありたいとは思っている。
不思議な縁で僧侶とならせていただき
田舎寺院の小さな無名のお寺の住職になったが
これはまさにご縁とご縁の紡ぎ出された結果であり
こうありたいとか、こうあらねばならないと
自分勝手に思ったわけではない。
だからこそ
自分の恣意で他者を導こうとは
ほんの僅かでも思っていない。
ご縁のある方々とともに歩んでいければそれが幸甚。
(ハンドボールやサッカーでいうと
 フィールドプレーヤーでなく
 キーパーの位置。
 だからキーパーをしていたのかもしれないと今は思う。)
これは寺子屋の生徒に対しても同じ。
自分で感じたこと、気づいたこと
ただただそれを語り伝えるだけ。
それが私の基本。
時と場合で勘違いされることも少なくないが
それでもこの道を歩んでいたい。
縛られることなく自由な境地で。
これも恣意かなぁ??(^^;
写真は、高家寺のご本尊様 聖観音菩薩
20190205-15-56-10

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2020/09/07

私の言葉に刺激を受け何かに気づかれる方が一人でも居られる限り、能書きを垂れ続けるようと思っている。

設計図は大切。
それに沿って、物が作られていくから。
しかし実際に形にするのは現場の人。
設計者が上手に作るのではなく、
上手に作る人はまた別にいる。
祈りも同じ。
ここのブログでも、個人ブログでも
FBでもTwitterでも
そして法話でも
能書きを垂れることが少なくないが、
あくまでも設計図の一部に過ぎない。
私の祈りが形になるのは
私の祈りの場合のみ。
祈るのは各個人。
上手に取り入れる人もいれば、
自分なりに工夫する人も居て、
また全く無視する人もいる。
ただ、プラスであろうがマイナスであろうが、
私の言葉に刺激を受け何かに気づかれる方が
一人でも居られる限り、
能書きを垂れ続けるようと思っている。
気づくことをサンスクリットではbudhといい、
目覚めを意味する。この言葉が変化して、Buddha覚者となる。
小さな気付きをした瞬間、
その人は
ミニミニブッダと
なっているのではないかと思う。
だから私は語り書き続けたい(^^)

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2020/06/19

厄除け大師の空飛ぶ伝説 江戸末期の高家寺の記録


細野要斎の『感興漫筆』の中の一節に高家寺の記録がある。
細野は、尾張藩の藩校である明倫堂の典籍の職についていたが、その職を辞した翌年の安政五年三月二十一日。まさに弘法大師報恩日正当日。
「川手村を過、加納府下を経、
 府下に幟を立て厄除け大師と題す。
 門前の題に 弘法大師自作尊像 
 と彫刻するを樹。」
その後に伝説が記されている。このときから5、60年前(寛政の頃?)に出開帳するために輿に載せて大坂に行った。ところがその地の人の信心が欠けていたために尊像は飛んで帰ってしまった。大坂に運んだ人たちは盗まれたと思い探したけれどもみつからない。しかたがなく高家寺に戻り報告をすると、住職が扉を開けば弘法大師像は高家寺に戻っていたという伝説である。
(ただしこの頃の住職が誰であったのか記録が途絶えている)
このコロナ禍、改めてこの尊像が厄除けの弘法大師像であり、不思議な伝説を持つ尊像であることを確認する。信心が欠けて飛んでいってしまわないように、信心をもって祈りたい。
Img_0580  

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2020/04/10

檀信徒の行事への参詣を一時休止 住職は一人祈ります 新型コロナウイルスに関する高家寺の対応 改一 令和2年4月10日改


新型コロナウイルスに関する高家寺の対応 改一
令和2年4月10日改

檀信徒の参詣を一時休止

昨日まで、高家寺の行事への檀信徒の参加は自由にしていましたが、
本日より高家寺の行事への檀信徒の    参詣は一時休止と致します。

毎月の行事や季節の行事を楽しみにされている方々も少なくありませんが、
岐阜県の非常事態宣言を鑑み苦渋の決断を致しました。

ただし住職の祈りは継続していきます。

再開に関しましては追ってお知らせいたします。

月例弘法大師・月例不動護摩・月例学習会・旧暦花祭り・風の四恩祭は、檀信徒の参詣は無しにしますが、具体的にどのようにするのかは後日お知らせいたします。

檀信徒の皆様には、なにとぞご理解の程、お願い申し上げます。
 Ichidaishi0021
Homa
P1090020

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2020/03/31

「限りある生命だからこそ」3月28日 高家寺 不動護摩法話要旨

アマゾンプライムのビデオを観ました。「 #スタートレック・ピカード 」。 #ピカード とは人の名前で35年前に制作された #新スタートレック 、英語名でStartrek The Next Generation 略称TNGの主人公で、Enterprise NCC-1701D/Eの艦長だった人物が、時を経て宇宙艦隊の提督も引退し、十五年ほど経っての物語。人生も最晩年になってのことです。

このTNGは私の人生に大きな影響をもたらした作品で、バッジやパワーポインターとなる銃も持っています。

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いわゆるヲタクで、トレッキーと言います。

そのピカードが昨日、第一期の最終回で死んでしまったんです。えーっです。第二期第三期も決まったと言っていたので。でもよくよく思い出してみると、回収と言うのですが、ちゃんとネタ仕込が前もってしてあることに気づきました。死んだけと死ななかった?死んでるけど死んでいない?

 

詳しい話は横に置いておいて、ピカードが死んでしまったときに、元の部下で、ピカードを助けるために死んでしまった #データ (映画の中で)が出てきました。彼はアンドロイドです。あっ、ネタバラシになりますね。ごめんなさい。ただこの中で、データがピカードに語ったのが、「死ぬべき命が人の命に意味を与える」「平和や愛、友情を人は大切にします。 #限りあるもの だと知っているからです。」

ここからは私の言葉です(^^)。
人は不完全です。だから周りの環境に合わせて変化していけます。もしも完璧だったら、変化はできません。この不完全こそが生命の営みそのものなのではないかと思います。不完全だからこそ、倫理的に欠けている部分があるからこそ、より正しく生きたいと感じるのではないでしょうか?生まれた限りには必ず死があります。逆に言えば死があるからこそ生きるのであって、自分自身でその生に意味を見出し生きていくのが人間だと思います。不完全だから命に限りがあり、子孫を繋いでいく。その限りある生命だからこそ美しい。花も造花よりは生花のほうが美しいですよね。

この限りある生命の不完全な生き物だからこそ、お互いに欠けたところを補い合い、お互いに支え合えるように思います。自分ひとりではできないことがある。だからこそ相互礼拝、相互供養の実践、すなわち曼荼羅的のように互いに良き影響を及ぼしながら生きていたいものです。

今回の新型コロナウィルスのことで、世界中の人が死を間近に感じているのではないでしょうか?このような病はなくなったほうが良いのが当たりまえですが、広がってしまった今だからこそ、亡くなってしまった尊い犠牲があるからこそ、生き延びている私たちは生死を考え、それを実際の生活の中に活かすことが大切だと感じます。

スタートレック・ピカードは良い時に放送がありました。キリスト教圏で生まれたスタートレックのTNGは仏教的な思想があちこちに散りばめられていますが、それは全人類に共通な思いがあるからなのでしょう。

21日の弘法大師報恩日にもお話したことですが、歴史を調べてみますと過去に実に多くのご先祖様たちが疫病に負けて亡くなっています。しかしいまここに居る私たちはその疫病という厄災から逃れて命を繋いできた命の結晶であるということをまずご自覚いただければと思います。

新型コロナウィルスにも関わらず、こうしてお越しいただいた方々の思いを強く感じています。マスク着用、入場時のアルコール消毒、咳や熱のある方はご帰宅いただくなど、不便をおかけしていますが、ご協力いただいたことに深く感謝いたします。席もできる限り離していただいていますし、寒かったかも知れませんが扉も開けて開放空間にしてありますことご了承いただいたことに感謝致します。

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2020/03/26

新型コロナウイルスの災禍の中で、自分を深化させられるかいなか、ここに生き様がある。

新型コロナウィルスの災禍で、貪瞋痴の三毒を目の当たり。
・スーパーやコンビニで、他者を押しのけて買い物する人たち(貪)。
・そうした他者の行動にむやみに怒りまくる人(瞋)。
・何が起きているのか分からずに、マスコミ情報で動いてしまう人たち(痴)。
こうした現象を目の当たりにしたとき、そうした人たちを慈悲の眼で見つめられるのか、寛容な心を持ちえるのか、ここが大切なところです。
欲望に忠実な既存のマスコミに踊らせられたくないものです。
自分を深めていく機会が訪れています。
こうした出来事が収束したとき、そのときにこそ少しでも高潔であり、広く深い境地に達していたいもの。
全世界共通で生きる死ぬを実体感している。だからこそこの今にしかできないことを一人ひとりが見つめていきたいものです。
写真は、高野山奥の院にある尾張徳川初代義直卿の実母相応院の供養塔です(いま終わり徳川の文章を書いているので載せました。深い意味はありません。)。
高野山の奥の院は常にこの生死を考えさせてくれる場所です。
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2020/03/22

「生き残った命だからこそ」高家寺2020/03/21法話要旨

3月21日の法話 要旨
「生き残った命だからこそ」
世間では新型コロナウイルスの話ばかり。本当に気をつけねばなりませんね。ですからマスク着用を今回はお願いし、話す私が一番泡沫を、飛ばしやすいので念のために法話の間はマスクします。
新型コロナウイルスのために中日文化センターの授業が全部なくなり、結構暇ができました。おかげで宗春の研究が進んでいます。江戸時代は疫病が命取りになることが少なくありませんでした。享保十五年1730年、江戸で麻疹(はしか)が大流行し、将軍継嗣の徳川家重や、松平通春こと宗春も罹患しました。二人は回復したのですが、命を失った人も少なくありません。その一人が宗春の兄である尾張徳川七代目の継友でした。
宗春は39人兄弟でしたが、結果的には40歳を超えることができたのは宗春一人でした。吉宗も兄3人が若くして亡くなっています。昭和の初めまで、多くの人が疫病で亡くなるのは当たり前だったのです。
先ほど話した、宗春の兄を死に至らしめた麻疹ですが、日本原種の麻疹は日本からなくなりました。ご存知でしたか?皆さん、経験者が多いですよね。でも、子供たちはほとんど罹ったことがないんですよ。
さて、この例からも分かりますように、かつては、ほんの数十年前までは、人はウイルスと闘い多くが負けてきました。ところがこの数十年の間に劇的に変化し、インフルエンザにも治療薬が数多く出回るようになりました。そのおかげで生きているのが当たり前となってきて、命の尊さが軽視されるようになったようにも思えます。医学の進歩に倫理観が追いついていないのかもしれません。
私たちがここにこうして生きているのは、そうした数多くの伝染病の中で生き残った命です。何度も何度もご先祖たちは戦いに敗れ、その生き残りが私たちです。
つまりこの命は本当に貴重な貴重なもの。
今日はお彼岸です。新型コロナウイルスが世界的な問題になっている時だからこそ、負け戦の中で命を落とした方々、命を存えた方々の両方の御先祖様を思い、お祈りを捧げられたように思います。
その祈りは亡くなった命の菩提を弔うことはもちろんのこと、生きているものがこの世での使命を終えるまでしっかりとお役目を果たして生きていくことが重要です。そのお役目こそが仏そのものであること。
また、こうした苦しい時だからこそ、そこから学ぶことはすくなくありません。自然や病の猛威に謙虚であること、そしてこの命が本当に尊いものであることを実感していただければ何よりです。
最後に、弘法大師の正当日であるので、もう三回、南無大師遍照金剛、お大師さまの御宝号をお唱えいたしましょう。

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2020/02/25

新型コロナウィルスへの高家寺の行事の方針:行事は中止せず行います ただし・・・

#新型コロナウィルス に対して県仏教会にお彼岸の法要を中止にしようかどうかを迷っているという電話があったらしい。
確かにお隣の国で新興宗教が大問題になるような状況を作り出した。
うちのお寺では、法要を中止しない。檀信徒が来られようが来られまいが、今までもほとんどの儀礼儀式は続けている。
ただし、マスクの用意、手の消毒用のアルコールや酸性水などの受付での用意、咳が出ていたり熱がありそうな人にはお帰りいただくなど、できるかぎり注意は払っている。
法要をするか否かは、宗派や仏教会が決めることではないと私は感じている。それは各寺院が決めることなのではないか。その住職の考え方次第だと思う。
#季節の行事 はお寺の基本。だから中止はしない。来るか来ないかは檀信徒の思い次第。もちろん細心の注意はする。これが高家寺のあり方であり、住職の私の方針。
各お寺が明確に方針を打ち出すことも重要かもしれない。

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2019/09/25

ゆっくりと丁寧に心を込めて 葬儀を通して世の心理を見る

ユックリと丁寧にこころをこめて


本堂での葬儀

(写真は通夜の前なので、お位牌は置いてありません。)


外陣を使って荘厳。本尊さまがあるので、外陣と内陣の幕は張らず。内陣はロウソク・線香点灯のみ。


花も段飾りは一切用いず。枕花などで飾る。お寺で出入りしている地元の花屋さんにお願いした。


果物も地元の果物屋さんにお願いした。


食事も、近所の寿司屋さんた精進寿司を特別注文。


全体の進行は葬儀屋にお願いした。


葬儀屋だけにお願いするのではなく、葬儀屋も含め地元の方々と共に作り上げる葬儀。これが高家寺が大切にしていること。


時間短縮、パッケージ商品を選びがちな風習に、少し待ったをかけたい。

高級なものは、ユックリと練り上げて行くものが多い。手間暇をかけることは、それに携わったもののこころを潤して行く。ここが最大のポイント。

結婚式は何度でもできるが、葬儀は生涯でただ一度。だからこそ、いそぐのではなく、手間暇をかけて、ユックリと練り上げて作り上げたいもの。時間をかければ、時間調整がしやすくなり他者への迷惑は最小限となる。そして、多くの方々と共に連携していく。これが故人のためでもあり、遺族始め残されたもののためでもある。


葬儀終了後、葬儀屋から高家寺専用のコースを作りたいと申し出があった。


大叔母の葬儀を通して、高家寺のコンセプトは間違っていなかったと強く感じる。

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